メディア・インサイト
2018年03月05日
アイドルとメディアの関係 2018

そうこうするうちに2018年になって、見える景色は、あいかわらず地上波TVを基軸とした世界だ。YouTuberですら最後はTVに取り込まれ、ヒカキンですらダウンタウンのはしご酒でTV仕様で陽気に振る舞っている。要はどんなメディア構造になっても、お金が集まって、そのお金を最終的に増幅させる起爆剤がTVCMである限り、そこに登場するのがひとつの最終形であることは昔も今も変わりないからだ。
48グループと46グループの違いをちゃんと語れる人は少ないと思うので整理のためにあらためて書いておく。48グループは、小劇場のような立ち位置で「会いにいけるアイドル」をコンセプトとして、マスメディアから敢えて遠いところからはじめたが、SNSもまだ黎明期で採算がとれるほどのヒットをつくることができなかった。当初48グループはソニーグループの会社からメジャーデビューしたが、思うような数字はとれず、ソニーグループの会社から契約をうちきられる。そしてなんとかキングレコードにつないでから、CMタイアップと握手会の強化で、オリコン一位を獲得し、記録を塗り替えるような快進撃を続ける。それを見ていたソニーミュージックは、大きな獲物を逃したと悔しがり、もう一度、秋元康に48グループのようなものをプロデュースしてくれと懇願する。その時、動いたお金は知る由もないが、48グループで得た経験、比較的安い地上波深夜枠を軸にして46グループが結成された。劇場もなく、コアな観客もいない46グループはダンスもヘタだし、歌唱力もあるわけではないが、地上波深夜枠を継続しているうち、確実にファンを増やし続け、乃木坂だけでなく欅坂も深夜枠で番組をもち、陰でダークな特色あるグループとして目立った存在へと急成長していった。48グループは初期コンセプトを引きずっている分だけ、吹っ切れ無さがあり、NHKのBS枠に甘えたところもあってどんどん失速していった。NMBの渡辺美優紀の卒業の仕方と後の振る舞いを見ているとわかるが、メジャーな華やかさがない。吉本との契約、辞めた後2年間は芸能活動禁止の中もがきにもがき、もうアイドル生命を失っている。
AKBがNHKのBS枠に甘んじ失速していったことを書いたが、AKBとほぼ同時期活動していた、アイドリング!!!もフジテレビがプロデュースしていたものの、レギュラー番組はCS枠でありこちらは何のブームも形成せず解散した。
純なアイドルグループではないが、面白いのは恵比寿マスカッツだ。彼女らは地上波深夜枠を持ちながら、葵つかさと松本潤の関係が度を過ぎ、地上波を追い出され、abemaTVで自由奔放にやってるが、行き着く先がまったく見えていない(笑)マッコイさんの演出がもう古いのかもしれないが・・・
今のことだから、ネットやSNSは欠かせないないが、メディア(TV)の基点が、地上波なのか、BSなのか、CSなのかでアイドル生命は随分と変わる。地上波組はまぁ、それだけお金をかけてるということだが・・・
今となっては「アキバ系アイドル」とは懐かしい響きで、新しいメディアとともに成長するアイドルを想像させたが、夢物語に終わりそうだ。
過去振り返っても、各時代、基点となっているのは地上波レギュラーを持っていたアイドル達だ。ASAYANのモーニング娘。SMAP・嵐の各番組、8時だよ!全員集合のキャンディーズ、仮面ライダー・スーパー戦隊シリーズ、金八先生シリーズの各アイドルたち
ただ、地上波利用といっても、その番組内容は長期的な関係づくりを目指したものであり、そこは今のコミュニケーションマーケティングやサブスクリプションモデル的な要素が盛られている。特にこれだけ、人数過多、多様なアイドルが出てくると、アイドルに対して独占欲や所有欲という気持ちは薄れ、きっかけ利用、きっかけ体験みたいなことが重視されているような気がする。
例えば、モデルの大友花恋が気に入ったとする。テレビ東京のドラマ「電影少女 2018」を見るが、一話早いアマゾンプライムの先行配信も見ながら、ネットの世界につながっていき、研音の本人直筆サイン入りカレンダー(4月はじまり)予約までつながっていったりする。これはかなり考えられた動線であり、ドラマをいち早く見ながら、発注があったら名前も明記した本人サインのカレンダーが手に入るという新しい体験を味わえる。いずれにしてもネットとの連動は必須だ。地上波>BS>CSという母数・リーチの違いは無視できないが・・・
そして、見逃しがちだが、いまどき友情出演(トドメのキス)の体をとって「さよならエレジー」をジワジワ売り込む菅田将暉のやり口も素晴らしい(笑)ドラマが進行し何回も聞かされているうちに、いい歌に聞こえてくるから不思議だ。久々ブログはこれくらいにしておく(笑)
2016年10月25日
リーマンショックの裏側で〜2008年に何がおこっていたか?
随分書いてなかったので、ちょっと長くなります(笑) お許しをm(_ _)m
低迷するTVドラマの中で、今年(2016)は異色なものがひとつあった。「ラブラブエイリアン」。若い女性が共同で住む家に迷い込んだミニミニエイリアンを助け、逆にいろいろなチカラをもらい恋愛事情に役立てていくストーリー。結婚前の女性の本音が描かれていたのも面白かったが、注目すべきは最終回。エイリアンがついにNASAの日本支部に捕らえられ、あらゆるエネルギーを遮断する箱に閉じ込められる。そこで女性4人組がエイリアンを助ける方法を考えるのだが、NASAの日本支部長の女性スキャンダルを「週刊文春」に通報するという脅しで、エイリアンたちは無事解放され宇宙に帰っていくというもの。
ここでも「週刊文春」が最大の武器(文春砲)となっていた・笑
現在、快進撃を続ける週刊文春(現在68万部)も2008年上期には約50万部まで落ち込み、先行きが危ぶまれた。そしてこの頃、「週刊文春」が掲載した記事について訴訟問題が多発。特に皇室、読売、ジャニーズ事務所、AKB48グループ、芸能プロダクションとの対立姿勢が強くなっていく。今でこそタブーのないメディアと賞賛もされているが、これは立派なコンセプトがあって築かれた姿勢ではなく、全方位的に訴訟問題を起こされ、それに反撃していくうちに色濃くなってきた編集姿勢だった。また、将来デジタルコンテンツを有料化していくために、現行のペーパー「週刊文春」の記事価値を高めていかねばならないという事情もあって、他社がひるむようなことでも切り込んでいかねばならなくなった。例えば、2016年初頭に日本を騒がせた、SMAP解散報道やベッキーの不倫報道もこの姿勢の延長上のスクープだった。ベッキーの不倫報道の広まり方は後にまた語るが、「週刊文春」だけのコードで語れば、恋愛禁止と定めたAKBメンバーの恋愛不祥事を連発して取り上げ「週刊文春」は部数を伸ばすヒットを続け、恋愛禁止下の情事を徹底的に叩いた。2014年には「昼顔」のような不倫ドラマも大ヒットし、不倫人口も多いはずの中で、週刊文春があれだけ純粋な立場でベッキーを叩けたのも(週刊文春は事実を示しただけで叩いてないとしているが)恋愛禁止下→情事→裏切りのコンテクストを既婚者→情事→裏切り(不倫)と同座標に持ち込み、裏切り行為(不倫)はダメとという建前的に誰もがうなずく倫理観に落としていったからだ。
不倫報道は販売部数を伸ばし、LINEネタを含めた第2弾、第3弾もありマスコミ、SNSを巻き込みながら世間を騒がせた。
ただ、ベッキー不倫報道について、「週刊文春」そのものもここまで大旋風になるとは予測していなかったとコメントしている。
そこには、もうひとつの要素が絡んでいる。情報拡散スピードのインフラ構造形成だ。
「週刊文春」の部数が約50万部と過去最低の部数に喘いでいた2008年。ネット上では、1995年以来の大きな変化があった。
ひとつは、Twitterの日本版が2008年4月にリリースされたこと。
もうひとつは、日本で初めてiPhoneが2008年7月に発売されたこと。
2007年の渋谷のセルリアンタワーで開催された「Web2.0 EXPO」でほとんどの講演に参加したが、その時、Twitterをつくったジャック・ドーシーのトークもあって、その時、来場者にTwitterユーザーはいますか?と挙手させたが、何百人といる会場のなかで挙手したのはまばらだった。まだ英語版しかなかったので、IT関係者の一部でしか使われていなかった。しかもTwitterをつくったジャック・ドーシーのその時の話が印象的だったが、飲食店の混み具合、交通機関の情報交換をスピーディに行うためにTwitterをつくったと語っていたことだ。今の日本ユーザーのようなTwitter上でいがみ合うとか、信条の違いで罵倒しあうとか、ネガティブな利用方法は想定していなかったようだ。
どちらにしても日本のSNS、スマホファーストの起点は2008年で間違いない。ただ上に少し書いたように、SNSやスマートフォン上で行き交う情報はそう未来的でもなかった。
2008年でリーマンショック以外に象徴する出来事といえば
・ 秋葉原通り魔事件
・ 八王子通り魔事件
・ 毒入り冷凍ぎょうざ
・ 船場吉兆廃業 食品偽装多数発覚
・ オバマ大統領 初当選
・ 橋本徹 大阪府知事初当選
・ 三浦和義サイパンで逮捕
・ 小室哲哉5億円詐欺
・ 飯島愛急死
・ タクシー全面禁煙化
・ チベット暴動
・ インド ムンバイ同時多発テロ
・ 売れないAKB48がキングレコードに移籍
2008年の全体的な印象としては、食品偽装が多発、通り魔事件も衝撃的で、日本での安心・安全神話が完全に崩れ去ったことだ。そして2008年にはじまったことではないが、安心・安全・モラルの反芻、コンプライアンスの徹底が特に叫ばれるようになった。CSRラインのコンプライアンスという言葉は2008年以前から企業内で色濃くなっていたが、一般家庭内にも「コンプライアンス」という言葉が飛び込んできたのは2008年だった。
ジャパネットたかたの電子辞書のCMで娘が父親に「お父さんの会社、コンプライアンス大丈夫?」とつぶやいたのが2008年6月だった。そして、この頃、会社の中でも役職レベルの人しか口にしなかった「コンプライアンス」という言葉が、企業コンプライアンス(教育)強化によって会社中に染み渡るようになっていた。モラルがあればコンプライアンス違反はなさそうなものだが、モラルがあっても組織の構造によってコンプライアンス違反は生じるということで、理念的なモラルより、組織構造やコミュニケーションを根本から見直して法的遵守を逸脱しないよう企業や組織体の中で様々な改革が行われていた。
おニャン子クラブの喫煙写真など過去にも芸能スキャンダルを掲載し、2004年からは編集長も変わり、芸能ゴシップネタを増やしていた「週刊文春」だったが、2008年上期に50万部まで落ち込んだことは先にも書いた。
このようにどんどん販売部数が落ち込む「週刊文春」と逆にソニーミュージックに首を切られたAKB48がキングレコードに移籍し「大声ダイアモンド(2008.10)」を出したあたりから、芸能界の中でAKB48の比重が高まってくる。政治経済分野に強い記者が多く退社した「週刊文春」は芸能スキャンダルで大きな獲物を拾わざるをえなかったが、ジャニーズネタはマンネリで、逆にジャニーズファンの反撃もあり部数アップには逆効果。自然と「RIVER(2009.10)」でオリコン初1位をとりさらに勢いをつけてるAKB48に目をつけはじめるようになった。
しかし、「週刊文春」がAKB48をスクープした第一弾はまだ視点がブれていた。
2010年2月18日号で取り上げた内容は
「AKB48は事務所社長の喜び組」とAKB48の運営母体AKSを批判するものだった。ここには取材で集めた黒い話を散りばめているだけで、何故批判しているのかの根拠がブレていた。また逆にAKSから訴訟を起こされ敗訴、控訴しても棄却されている。
そこで「週刊文春」はAKB48の規律(コンプライアンス)に焦点をあわせるようになる。いわゆる恋愛禁止条例だ。
恋愛禁止を謳って経済活動をしている限り、そこに虚偽があれば、コンプライアンス違反として、時代的な正義の下、記事は注目されるに違いない。ここからいわゆる文春砲が始まる。
2010.10.21号
秋元才加、広井王子とのお泊りデート チームKキャプテン辞任
2012.6.21号
指原莉乃、元交際相手の交際暴露 HKT48へ移籍
2012..9.21号
前田敦子、仲川遥香、佐藤健との深夜合コン 仲川遥香JKT48へ移籍
2012.11.28号
増田有華、ISSAとの不倫お泊り騒動 卒業
2013.2.7号
峯岸みなみ、白濱亜嵐とのお泊りデート騒動 坊主頭 研究生降格
2013.2.14号
柏木由紀、Jリーガーとの深夜合コン騒動 お咎めなし
2015.6.18号
柏木由紀、手越祐也との2ショット騒動 お咎めなし
2013.8.15号
宮澤佐江、ジャニーズJrとのお泊り騒動 卒業
それぞれを見ると、普通の恋愛であってスキャンダルでもなんでもないのだが(笑)恋愛禁止という規律の中では確かにルール違反となる。「週刊文春」はこれをコンプライアンス違反よろしく、徹底追求した。AKB48スキャンダルの中にも不倫も混在しているが、不倫も社会常識の規律からすればルール違反で、後のベッキーにもそこをしつこく軸として、徹底追求を続けた。
「週刊文春」はコンプライアンス浸透の時流の中、仮定軸を設ければ叩きやすいという編集姿勢を身につけていった。
そして、2008年を起点として大成長していくSNSだが、リーマンショックによる経済的な落ち込みが深まる中、企業コンプライアンス教育が強化されてか、意見の軸がコンプライアンスよりになり、ルール違反にヒステリックなまでに厳しくなる。
SNSの底辺と言われるYahoo!コメントを見るとわかるが(笑)会社や組織体からコンプライアンス教育を受け、それをそのまま鵜呑みにしている40〜50代男性の悲しい姿がうかがえる(爆)
本来、集合的には人の価値観は大きく8つくらいに分類できるが、Yahoo!コメントを見ると、ひどい時には1色、ゆるい時で2色くらいでコメント欄が増産され、ほとんど読む価値のない意見が量産されている。リーマンショック以降、暗い経済と厳しい企業のコンプライアンス教育の環境の中で、こんなにつまらない人々が、人間のように生きているのかと思うと非常に情けない。またTwitterでどこかに載っていたニュースを自分セレクトオリジナルのように発信し続けているのも痛い。さらにさまぁ〜ずの三村のようなお笑い芸人が、フォロワーと小喧嘩しているのも馬鹿げている。SNSは議論を詰めるツールではない。いろんな場所、いろんな立場にいる人が自分だけでは知り得ない情報を共有するところなはずだ。
2016年は様々な不倫バッシングがあった。
ベッキー・川谷絵音・宮崎謙介議員・桂文枝・石井竜也・乙武洋匡・とにかく明るい安村・ファンキー加藤・中村橋之助などなど
こういう時は、その背景に保守意見を支える何かが存在している。
例えば映画「危険な情事 1987上映」の頃は、世界中にエイズが広がり、フリーセックス、不倫、浮気をしているとエイズにかかる確率が高まりますよ・・・まっすぐ家に帰り、家族を大切にしましょう的な裏メッセージがあったように思う。あのストーカーのような女性はエイズのメタファーのような存在だった。
統計の数字などを見れば、一般人でも不倫をしている人たちは少なくない。しかし、雑誌やテレビ、マスコミでこれだけ芸能人や政治家が不倫していることにバッシングがおこり、SNSでも同調して盛り上がるのは何故なのか不思議で仕方がない。
先に触れてるように、不倫はダメという規律違反を軸にすれば記事にしやすいという「週刊文春」のような雑誌がやりすぎているのか?ということも考えられるが、それだけでもないような気がする。またSNSでも大バッシングしている人たちは純粋恋愛主義者だけで形成されているのか?それも違うような気がする。
昨今、梅毒が盛り返しているというニュースもあるが、もちろん今回のことに関係ないだろう。エイズの時とは比較にならないと思う。
ひとつ想像できるのは、月九(恋愛)ドラマが不調、すれ違い映画「君の名は。」が好調、バレンタインよりもハロウィーンの市場規模が拡大、現在の若い世代では恋愛そのものが面倒くさいという人が増加、要は、恋愛しない症候群(人口が減少していく)の中で、人口を増やす可能性のある人達がそこから脱線していたらダメじゃないか。健全な恋愛をし健全な結婚をしていかなければ未来は無いんじゃないかという価値観(焦りのようなも)が勝手ながらあるんじゃないか。
さらに要約すれば「この大変な時に不倫している場合かよ」
不倫は、健全な恋愛を阻害する病気のようなもの・・・・
かといって自分から積極的に恋愛するわけでもなく・・・
というのが、沈黙のインサイトなのか?
その真偽は確かめようがないが、コンプライアンス、規律、ルール遵守を重視する世界では、当然ながら感性軸は、コンサバティブな方にズレる。
アメリカの大統領選挙戦を見てて、笑うのは、トランプ氏の存在だ。彼は存在自体がコンプライアンス違反だが(爆)、コンサバティブな思想の持ち主という面白いキャラクターだ。なんでこんな成金がでてくるんだろうと初め思っていたが、セクハラ、暴言を平気で行い、少し昔懐かしいすけべおっさんキャラを彷彿とさせ、南部の頑固爺さんみたいな信条を吐露するカントリー&ウェスタンの権化のような人物。登場曲が許可なく使用しているロック・ミュージックというのもこれまた無茶苦茶。もうちょっと頭が良ければ、完全アグレッシブな過激な存在として演出できたんだろうが、クリントンに、「週刊文春」みたいにコンプライアンス違反軸で責められて撃沈というあっけない結果に終わってしまった(選挙はまだだが・・・・)
ただ、トランプ氏を見ていると、コンプライアンスでがんじがらめになった世界で人はおさまらないことを示している。
先日、宇都宮で自爆した元自衛官の発言の中で、また、秋葉原の通り魔事件みたいなことしたい衝動にかられる・・・というのがあって、あぁまたかと思ってしまった。
ピコ太郎のPPAPにしても、曲も衣装もメイクも完全なパフォーマンスライン。ただ思いっきりショートなところが今風で、石野卓球を師と仰ぐほど本来は正統派である。
時代の感性軸はコンサバの方にズレているが、それを客観視しながら、そこからアグレッシブラインにジャンプすることに未来があるのか???おそらく表現の世界では、求められているのはそこなんだろうと思う。幸か不幸か、表現者は初めコンサバ軸には立ちたがらない。UNAKOのCMや資生堂の25歳CMができていしまうのはそのせいだ。制作者の彼らが悪いのではなく、時代の感性軸がズレているだけだ。日本の場合は、2011年の東北大地震、熊本地震から復興すらできていない。経済もはっきりいって不調だ。東京オリンピック、大阪万博があろうが、当分この気分が続くんだろうと思う。表現者としては、上のことを頭に意識していれば、しばらくまだ食えるな・・・と思う(笑)
【この記事の関連ブログ】
・不倫ドラマ「昼顔」の現象学
・世界の中心は秋葉原という物語は1995年から始まった。
・AKB48総論 キャズムを越えたアイドルたち
・ツッコミ文化が日本を正常にしていく
低迷するTVドラマの中で、今年(2016)は異色なものがひとつあった。「ラブラブエイリアン」。若い女性が共同で住む家に迷い込んだミニミニエイリアンを助け、逆にいろいろなチカラをもらい恋愛事情に役立てていくストーリー。結婚前の女性の本音が描かれていたのも面白かったが、注目すべきは最終回。エイリアンがついにNASAの日本支部に捕らえられ、あらゆるエネルギーを遮断する箱に閉じ込められる。そこで女性4人組がエイリアンを助ける方法を考えるのだが、NASAの日本支部長の女性スキャンダルを「週刊文春」に通報するという脅しで、エイリアンたちは無事解放され宇宙に帰っていくというもの。
ここでも「週刊文春」が最大の武器(文春砲)となっていた・笑
現在、快進撃を続ける週刊文春(現在68万部)も2008年上期には約50万部まで落ち込み、先行きが危ぶまれた。そしてこの頃、「週刊文春」が掲載した記事について訴訟問題が多発。特に皇室、読売、ジャニーズ事務所、AKB48グループ、芸能プロダクションとの対立姿勢が強くなっていく。今でこそタブーのないメディアと賞賛もされているが、これは立派なコンセプトがあって築かれた姿勢ではなく、全方位的に訴訟問題を起こされ、それに反撃していくうちに色濃くなってきた編集姿勢だった。また、将来デジタルコンテンツを有料化していくために、現行のペーパー「週刊文春」の記事価値を高めていかねばならないという事情もあって、他社がひるむようなことでも切り込んでいかねばならなくなった。例えば、2016年初頭に日本を騒がせた、SMAP解散報道やベッキーの不倫報道もこの姿勢の延長上のスクープだった。ベッキーの不倫報道の広まり方は後にまた語るが、「週刊文春」だけのコードで語れば、恋愛禁止と定めたAKBメンバーの恋愛不祥事を連発して取り上げ「週刊文春」は部数を伸ばすヒットを続け、恋愛禁止下の情事を徹底的に叩いた。2014年には「昼顔」のような不倫ドラマも大ヒットし、不倫人口も多いはずの中で、週刊文春があれだけ純粋な立場でベッキーを叩けたのも(週刊文春は事実を示しただけで叩いてないとしているが)恋愛禁止下→情事→裏切りのコンテクストを既婚者→情事→裏切り(不倫)と同座標に持ち込み、裏切り行為(不倫)はダメとという建前的に誰もがうなずく倫理観に落としていったからだ。
不倫報道は販売部数を伸ばし、LINEネタを含めた第2弾、第3弾もありマスコミ、SNSを巻き込みながら世間を騒がせた。
ただ、ベッキー不倫報道について、「週刊文春」そのものもここまで大旋風になるとは予測していなかったとコメントしている。
そこには、もうひとつの要素が絡んでいる。情報拡散スピードのインフラ構造形成だ。
「週刊文春」の部数が約50万部と過去最低の部数に喘いでいた2008年。ネット上では、1995年以来の大きな変化があった。
ひとつは、Twitterの日本版が2008年4月にリリースされたこと。
もうひとつは、日本で初めてiPhoneが2008年7月に発売されたこと。
2007年の渋谷のセルリアンタワーで開催された「Web2.0 EXPO」でほとんどの講演に参加したが、その時、Twitterをつくったジャック・ドーシーのトークもあって、その時、来場者にTwitterユーザーはいますか?と挙手させたが、何百人といる会場のなかで挙手したのはまばらだった。まだ英語版しかなかったので、IT関係者の一部でしか使われていなかった。しかもTwitterをつくったジャック・ドーシーのその時の話が印象的だったが、飲食店の混み具合、交通機関の情報交換をスピーディに行うためにTwitterをつくったと語っていたことだ。今の日本ユーザーのようなTwitter上でいがみ合うとか、信条の違いで罵倒しあうとか、ネガティブな利用方法は想定していなかったようだ。
どちらにしても日本のSNS、スマホファーストの起点は2008年で間違いない。ただ上に少し書いたように、SNSやスマートフォン上で行き交う情報はそう未来的でもなかった。
2008年でリーマンショック以外に象徴する出来事といえば
・ 秋葉原通り魔事件
・ 八王子通り魔事件
・ 毒入り冷凍ぎょうざ
・ 船場吉兆廃業 食品偽装多数発覚
・ オバマ大統領 初当選
・ 橋本徹 大阪府知事初当選
・ 三浦和義サイパンで逮捕
・ 小室哲哉5億円詐欺
・ 飯島愛急死
・ タクシー全面禁煙化
・ チベット暴動
・ インド ムンバイ同時多発テロ
・ 売れないAKB48がキングレコードに移籍
2008年の全体的な印象としては、食品偽装が多発、通り魔事件も衝撃的で、日本での安心・安全神話が完全に崩れ去ったことだ。そして2008年にはじまったことではないが、安心・安全・モラルの反芻、コンプライアンスの徹底が特に叫ばれるようになった。CSRラインのコンプライアンスという言葉は2008年以前から企業内で色濃くなっていたが、一般家庭内にも「コンプライアンス」という言葉が飛び込んできたのは2008年だった。
ジャパネットたかたの電子辞書のCMで娘が父親に「お父さんの会社、コンプライアンス大丈夫?」とつぶやいたのが2008年6月だった。そして、この頃、会社の中でも役職レベルの人しか口にしなかった「コンプライアンス」という言葉が、企業コンプライアンス(教育)強化によって会社中に染み渡るようになっていた。モラルがあればコンプライアンス違反はなさそうなものだが、モラルがあっても組織の構造によってコンプライアンス違反は生じるということで、理念的なモラルより、組織構造やコミュニケーションを根本から見直して法的遵守を逸脱しないよう企業や組織体の中で様々な改革が行われていた。
おニャン子クラブの喫煙写真など過去にも芸能スキャンダルを掲載し、2004年からは編集長も変わり、芸能ゴシップネタを増やしていた「週刊文春」だったが、2008年上期に50万部まで落ち込んだことは先にも書いた。
このようにどんどん販売部数が落ち込む「週刊文春」と逆にソニーミュージックに首を切られたAKB48がキングレコードに移籍し「大声ダイアモンド(2008.10)」を出したあたりから、芸能界の中でAKB48の比重が高まってくる。政治経済分野に強い記者が多く退社した「週刊文春」は芸能スキャンダルで大きな獲物を拾わざるをえなかったが、ジャニーズネタはマンネリで、逆にジャニーズファンの反撃もあり部数アップには逆効果。自然と「RIVER(2009.10)」でオリコン初1位をとりさらに勢いをつけてるAKB48に目をつけはじめるようになった。
しかし、「週刊文春」がAKB48をスクープした第一弾はまだ視点がブれていた。
2010年2月18日号で取り上げた内容は
「AKB48は事務所社長の喜び組」とAKB48の運営母体AKSを批判するものだった。ここには取材で集めた黒い話を散りばめているだけで、何故批判しているのかの根拠がブレていた。また逆にAKSから訴訟を起こされ敗訴、控訴しても棄却されている。
そこで「週刊文春」はAKB48の規律(コンプライアンス)に焦点をあわせるようになる。いわゆる恋愛禁止条例だ。
恋愛禁止を謳って経済活動をしている限り、そこに虚偽があれば、コンプライアンス違反として、時代的な正義の下、記事は注目されるに違いない。ここからいわゆる文春砲が始まる。
2010.10.21号
秋元才加、広井王子とのお泊りデート チームKキャプテン辞任
2012.6.21号
指原莉乃、元交際相手の交際暴露 HKT48へ移籍
2012..9.21号
前田敦子、仲川遥香、佐藤健との深夜合コン 仲川遥香JKT48へ移籍
2012.11.28号
増田有華、ISSAとの不倫お泊り騒動 卒業
2013.2.7号
峯岸みなみ、白濱亜嵐とのお泊りデート騒動 坊主頭 研究生降格
2013.2.14号
柏木由紀、Jリーガーとの深夜合コン騒動 お咎めなし
2015.6.18号
柏木由紀、手越祐也との2ショット騒動 お咎めなし
2013.8.15号
宮澤佐江、ジャニーズJrとのお泊り騒動 卒業
それぞれを見ると、普通の恋愛であってスキャンダルでもなんでもないのだが(笑)恋愛禁止という規律の中では確かにルール違反となる。「週刊文春」はこれをコンプライアンス違反よろしく、徹底追求した。AKB48スキャンダルの中にも不倫も混在しているが、不倫も社会常識の規律からすればルール違反で、後のベッキーにもそこをしつこく軸として、徹底追求を続けた。
「週刊文春」はコンプライアンス浸透の時流の中、仮定軸を設ければ叩きやすいという編集姿勢を身につけていった。
そして、2008年を起点として大成長していくSNSだが、リーマンショックによる経済的な落ち込みが深まる中、企業コンプライアンス教育が強化されてか、意見の軸がコンプライアンスよりになり、ルール違反にヒステリックなまでに厳しくなる。
SNSの底辺と言われるYahoo!コメントを見るとわかるが(笑)会社や組織体からコンプライアンス教育を受け、それをそのまま鵜呑みにしている40〜50代男性の悲しい姿がうかがえる(爆)
本来、集合的には人の価値観は大きく8つくらいに分類できるが、Yahoo!コメントを見ると、ひどい時には1色、ゆるい時で2色くらいでコメント欄が増産され、ほとんど読む価値のない意見が量産されている。リーマンショック以降、暗い経済と厳しい企業のコンプライアンス教育の環境の中で、こんなにつまらない人々が、人間のように生きているのかと思うと非常に情けない。またTwitterでどこかに載っていたニュースを自分セレクトオリジナルのように発信し続けているのも痛い。さらにさまぁ〜ずの三村のようなお笑い芸人が、フォロワーと小喧嘩しているのも馬鹿げている。SNSは議論を詰めるツールではない。いろんな場所、いろんな立場にいる人が自分だけでは知り得ない情報を共有するところなはずだ。
2016年は様々な不倫バッシングがあった。
ベッキー・川谷絵音・宮崎謙介議員・桂文枝・石井竜也・乙武洋匡・とにかく明るい安村・ファンキー加藤・中村橋之助などなど
こういう時は、その背景に保守意見を支える何かが存在している。
例えば映画「危険な情事 1987上映」の頃は、世界中にエイズが広がり、フリーセックス、不倫、浮気をしているとエイズにかかる確率が高まりますよ・・・まっすぐ家に帰り、家族を大切にしましょう的な裏メッセージがあったように思う。あのストーカーのような女性はエイズのメタファーのような存在だった。
統計の数字などを見れば、一般人でも不倫をしている人たちは少なくない。しかし、雑誌やテレビ、マスコミでこれだけ芸能人や政治家が不倫していることにバッシングがおこり、SNSでも同調して盛り上がるのは何故なのか不思議で仕方がない。
先に触れてるように、不倫はダメという規律違反を軸にすれば記事にしやすいという「週刊文春」のような雑誌がやりすぎているのか?ということも考えられるが、それだけでもないような気がする。またSNSでも大バッシングしている人たちは純粋恋愛主義者だけで形成されているのか?それも違うような気がする。
昨今、梅毒が盛り返しているというニュースもあるが、もちろん今回のことに関係ないだろう。エイズの時とは比較にならないと思う。
ひとつ想像できるのは、月九(恋愛)ドラマが不調、すれ違い映画「君の名は。」が好調、バレンタインよりもハロウィーンの市場規模が拡大、現在の若い世代では恋愛そのものが面倒くさいという人が増加、要は、恋愛しない症候群(人口が減少していく)の中で、人口を増やす可能性のある人達がそこから脱線していたらダメじゃないか。健全な恋愛をし健全な結婚をしていかなければ未来は無いんじゃないかという価値観(焦りのようなも)が勝手ながらあるんじゃないか。
さらに要約すれば「この大変な時に不倫している場合かよ」
不倫は、健全な恋愛を阻害する病気のようなもの・・・・
かといって自分から積極的に恋愛するわけでもなく・・・
というのが、沈黙のインサイトなのか?
その真偽は確かめようがないが、コンプライアンス、規律、ルール遵守を重視する世界では、当然ながら感性軸は、コンサバティブな方にズレる。
アメリカの大統領選挙戦を見てて、笑うのは、トランプ氏の存在だ。彼は存在自体がコンプライアンス違反だが(爆)、コンサバティブな思想の持ち主という面白いキャラクターだ。なんでこんな成金がでてくるんだろうと初め思っていたが、セクハラ、暴言を平気で行い、少し昔懐かしいすけべおっさんキャラを彷彿とさせ、南部の頑固爺さんみたいな信条を吐露するカントリー&ウェスタンの権化のような人物。登場曲が許可なく使用しているロック・ミュージックというのもこれまた無茶苦茶。もうちょっと頭が良ければ、完全アグレッシブな過激な存在として演出できたんだろうが、クリントンに、「週刊文春」みたいにコンプライアンス違反軸で責められて撃沈というあっけない結果に終わってしまった(選挙はまだだが・・・・)
ただ、トランプ氏を見ていると、コンプライアンスでがんじがらめになった世界で人はおさまらないことを示している。
先日、宇都宮で自爆した元自衛官の発言の中で、また、秋葉原の通り魔事件みたいなことしたい衝動にかられる・・・というのがあって、あぁまたかと思ってしまった。
ピコ太郎のPPAPにしても、曲も衣装もメイクも完全なパフォーマンスライン。ただ思いっきりショートなところが今風で、石野卓球を師と仰ぐほど本来は正統派である。
時代の感性軸はコンサバの方にズレているが、それを客観視しながら、そこからアグレッシブラインにジャンプすることに未来があるのか???おそらく表現の世界では、求められているのはそこなんだろうと思う。幸か不幸か、表現者は初めコンサバ軸には立ちたがらない。UNAKOのCMや資生堂の25歳CMができていしまうのはそのせいだ。制作者の彼らが悪いのではなく、時代の感性軸がズレているだけだ。日本の場合は、2011年の東北大地震、熊本地震から復興すらできていない。経済もはっきりいって不調だ。東京オリンピック、大阪万博があろうが、当分この気分が続くんだろうと思う。表現者としては、上のことを頭に意識していれば、しばらくまだ食えるな・・・と思う(笑)
【この記事の関連ブログ】
・不倫ドラマ「昼顔」の現象学
・世界の中心は秋葉原という物語は1995年から始まった。
・AKB48総論 キャズムを越えたアイドルたち
・ツッコミ文化が日本を正常にしていく
2016年04月14日
最近のドラマの視聴率現象とSNS現象を構造面から洞察
最近、疑問が積りに積もっている。NHK連続ドラマ「あさが来た」の高視聴率(歴代最高)は頷けるにしても、その後、「とと姉ちゃん」までなぜ高視聴率が続くのか。また、フジTVの恋愛月9ドラマ「いつかこの恋を思い出したらきっと泣いてしまう」は月9史上最低の視聴率となり、福山雅治を起用し数字を取りにいったにもかかわらず「ラブソング」はさらに低迷。一昨年「昼顔」で不倫ドラマが話題になったにもかかわらず、芸能人の不倫には厳しくメガトン級のバッシングが続く・・・。
これらは一見バラバラのように見えるが、実は掘り起こしてみると同じ蔓でつながっているのではないかと思えてきた。シンボルや神話性と絡めて語ることはできると思うが、何かもっと単純なことでこれらの現象はおこっているのではないかと思うようになった。
15分、毎日放映されるスタイルがSNSにあっているのではないか?
日本の場合は、1995年の阪神淡路大震災と2011年の東日本大震災を境に文化や価値観の段差が顕著だが、前者はリアルからバーチャルへの傾斜、ネット社会の大普及につながったし、後者は単なる情報ネットワークからソーシャルネットワークへの傾斜、SNSの大普及につながった。NHK連続ドラマでいうと「あまちゃん」の着想は東北復興を兼ねていたし、ドラマの一話一話がTwitterで語られ、ライブで見ることがそれに参加することの前提となり、新しい視聴スタイルとなった。それと次から次へと新しい登場人物が出てきて、飽きさせず、つぶやきネタは豊富だった。自分自身も久々に朝ドラを見るようになって、それらの盛り上がる話題を共有し、ドラマ視聴の新しい楽しみ方を味わった。当時、それは朝ドラだけでなく「マルモのおきて」や「家政婦のミタ」にも共通し、SNSとともに盛り上がり超高視聴率をたたきだした。SNSと絡みだした「あまちゃん」以降、NHKの朝ドラが好調なのは、シナリオの質以上に、SNSと絡みやすい構造になっているからではないかと思う。
・15分という束縛しないライトな時間
・毎日、感想が述べられる
・登場人物が飽きさせないくらいの量がいる
上記の他に、時代設定、ストーリー転換の妙もあいまって上手く展開したのが「あさが来た」ではなかったかと思う。そこには五代様のような熱狂できる人物もいた。この視聴スタイルは一度はまるとなかなか崩せないので、「とと姉ちゃん」のような暮しの手帖の編集者の地味な話でも、キャスティングさえ前回の要領でやっていけば高視聴率は継続するのだと思う。
月曜日の9時に果たしてみんなは恋愛ドラマを見たいのだろうか?
マーケティング評論家の牛窪恵さんに言わせれば、昔はゲームもスマホもなかったので、平日も恋愛するしかなかった(笑)今は、ゲームもスマホもあるので恋愛を第一に考えなくても平気な若者が増えている。これは結構、月9ドラマにとって決定的なコトではなかろうか。昔は月曜日の夜に恋愛ドラマを見て、ひたって、一週間自分の恋愛の肥やしにできた環境があった。今はというと、“なんで、週始めの月曜から恋愛ドラマを見る必要があるのだろう、彼・彼女とデートする週末・休日までまだまだ遠いのに、そんな気分になれないな”といった感情ではなかろうか。しかも「いつ恋」や「ラブソング」のような無理のある設定、ツッコミどころ満載の内容だと白けてくるのも当然だ。さらに言えば、もう、月曜日に恋愛ドラマをやることが世の中とマッチしていないとすれば、何を持ってきても低視聴率となる可能性は大で、それが本当に現実になっている。
Twitterは特に短文なので、勧善懲悪、正義追求型になりやすい?しかもデバイスがスマホになったため短文で言いたいことを圧縮
ここのところの不倫叩きはものすごい。そしてどれも叩く理由が、奥さんが可哀想じゃないと収斂していく。確かにそうだが、SNSのなかった時代は、そこまで引きずり落とすことはなかった。覚せい剤にしたってそう。SNSのなかった槇原敬之は、見事復活をはたしてたりする。ついこの間の日清カップヌードルのCMでは、矢口真里がターゲットとなって叩かれまくっていた。SNSのある時代は、ネット上にデジタルデータが積み重なっていくので、過去のことは過去として忘れてくれない。ベッキーの時も酒井法子がコメントを発したが、ベッキーは不倫で犯罪じゃない、前科もののお前が口をだすなとネット上でボコボコに叩かれていた。SNSでは長い言い訳は通用しない。短文で誰もが共有できる意見が途方も無い力を持ってターゲットがつぶされていく。
こうやって見ていくと、えっ、なんでと思うようなことは、SNSの形式によって左右されていることが多いように思う。世の中に伝播する文脈は、SNSにフィットしているかフィットしていないかで選択されていく。ダウンタウン浜田の不倫がすぐ沈下したのも、奥さんが可哀想に見えず、そうとなると話はややこしくなるので、SNSはターゲットのロックオンを解除するのではないかと思う。それとウソをつかず正直に語ればロックオンは解除される。
2011年に、SNSを主体としたツッコミ文化は日本を正常にしていく旨のブログを二本書いたが、最近の状況を見ていると、必ずしもそうでもないかなと思う。SNSの構造に価値観が引っ張られているような気がする。またその回路を上手く利用しているのは週刊文春とか週刊新潮だろう。ネタ選びがSNSで調理しやすい文脈にして見事に編集工学をしている。さすがという他ない(笑)
まぁ、これもまだまだ過渡期。
いろんなSNSが出てきて、ちょっとヒステリックな風潮も変わっていくかもしれない。ただし、いろんな人がいろんな意見を公開できる今は、昔と比べて抜群にいい時代になっていることには変わりないと思う。
この記事に関連した過去のブログ
リーマンショックの裏側で〜2008年に何がおこっていたか?
ツッコミ文化が日本を正常にしていく
ツッコミ文化拡張論---漫才ギャングが示したもの
これらは一見バラバラのように見えるが、実は掘り起こしてみると同じ蔓でつながっているのではないかと思えてきた。シンボルや神話性と絡めて語ることはできると思うが、何かもっと単純なことでこれらの現象はおこっているのではないかと思うようになった。
15分、毎日放映されるスタイルがSNSにあっているのではないか?
日本の場合は、1995年の阪神淡路大震災と2011年の東日本大震災を境に文化や価値観の段差が顕著だが、前者はリアルからバーチャルへの傾斜、ネット社会の大普及につながったし、後者は単なる情報ネットワークからソーシャルネットワークへの傾斜、SNSの大普及につながった。NHK連続ドラマでいうと「あまちゃん」の着想は東北復興を兼ねていたし、ドラマの一話一話がTwitterで語られ、ライブで見ることがそれに参加することの前提となり、新しい視聴スタイルとなった。それと次から次へと新しい登場人物が出てきて、飽きさせず、つぶやきネタは豊富だった。自分自身も久々に朝ドラを見るようになって、それらの盛り上がる話題を共有し、ドラマ視聴の新しい楽しみ方を味わった。当時、それは朝ドラだけでなく「マルモのおきて」や「家政婦のミタ」にも共通し、SNSとともに盛り上がり超高視聴率をたたきだした。SNSと絡みだした「あまちゃん」以降、NHKの朝ドラが好調なのは、シナリオの質以上に、SNSと絡みやすい構造になっているからではないかと思う。
・15分という束縛しないライトな時間
・毎日、感想が述べられる
・登場人物が飽きさせないくらいの量がいる
上記の他に、時代設定、ストーリー転換の妙もあいまって上手く展開したのが「あさが来た」ではなかったかと思う。そこには五代様のような熱狂できる人物もいた。この視聴スタイルは一度はまるとなかなか崩せないので、「とと姉ちゃん」のような暮しの手帖の編集者の地味な話でも、キャスティングさえ前回の要領でやっていけば高視聴率は継続するのだと思う。
月曜日の9時に果たしてみんなは恋愛ドラマを見たいのだろうか?
マーケティング評論家の牛窪恵さんに言わせれば、昔はゲームもスマホもなかったので、平日も恋愛するしかなかった(笑)今は、ゲームもスマホもあるので恋愛を第一に考えなくても平気な若者が増えている。これは結構、月9ドラマにとって決定的なコトではなかろうか。昔は月曜日の夜に恋愛ドラマを見て、ひたって、一週間自分の恋愛の肥やしにできた環境があった。今はというと、“なんで、週始めの月曜から恋愛ドラマを見る必要があるのだろう、彼・彼女とデートする週末・休日までまだまだ遠いのに、そんな気分になれないな”といった感情ではなかろうか。しかも「いつ恋」や「ラブソング」のような無理のある設定、ツッコミどころ満載の内容だと白けてくるのも当然だ。さらに言えば、もう、月曜日に恋愛ドラマをやることが世の中とマッチしていないとすれば、何を持ってきても低視聴率となる可能性は大で、それが本当に現実になっている。
Twitterは特に短文なので、勧善懲悪、正義追求型になりやすい?しかもデバイスがスマホになったため短文で言いたいことを圧縮
ここのところの不倫叩きはものすごい。そしてどれも叩く理由が、奥さんが可哀想じゃないと収斂していく。確かにそうだが、SNSのなかった時代は、そこまで引きずり落とすことはなかった。覚せい剤にしたってそう。SNSのなかった槇原敬之は、見事復活をはたしてたりする。ついこの間の日清カップヌードルのCMでは、矢口真里がターゲットとなって叩かれまくっていた。SNSのある時代は、ネット上にデジタルデータが積み重なっていくので、過去のことは過去として忘れてくれない。ベッキーの時も酒井法子がコメントを発したが、ベッキーは不倫で犯罪じゃない、前科もののお前が口をだすなとネット上でボコボコに叩かれていた。SNSでは長い言い訳は通用しない。短文で誰もが共有できる意見が途方も無い力を持ってターゲットがつぶされていく。
こうやって見ていくと、えっ、なんでと思うようなことは、SNSの形式によって左右されていることが多いように思う。世の中に伝播する文脈は、SNSにフィットしているかフィットしていないかで選択されていく。ダウンタウン浜田の不倫がすぐ沈下したのも、奥さんが可哀想に見えず、そうとなると話はややこしくなるので、SNSはターゲットのロックオンを解除するのではないかと思う。それとウソをつかず正直に語ればロックオンは解除される。
2011年に、SNSを主体としたツッコミ文化は日本を正常にしていく旨のブログを二本書いたが、最近の状況を見ていると、必ずしもそうでもないかなと思う。SNSの構造に価値観が引っ張られているような気がする。またその回路を上手く利用しているのは週刊文春とか週刊新潮だろう。ネタ選びがSNSで調理しやすい文脈にして見事に編集工学をしている。さすがという他ない(笑)
まぁ、これもまだまだ過渡期。
いろんなSNSが出てきて、ちょっとヒステリックな風潮も変わっていくかもしれない。ただし、いろんな人がいろんな意見を公開できる今は、昔と比べて抜群にいい時代になっていることには変わりないと思う。
この記事に関連した過去のブログ
リーマンショックの裏側で〜2008年に何がおこっていたか?
ツッコミ文化が日本を正常にしていく
ツッコミ文化拡張論---漫才ギャングが示したもの