複雑系の世界

2022年12月08日

ひとりごと

大阪中央病院に一週間入院して身体の隅々をチェックしてもらった。たいしたダメージがないことがわかったのは良かったが年相応、弱ってる部分は多々あって、それは仕方ないことだから何をするわけでもなくごく自然に生きていくしかない(笑)

久々にブログの管理画面を見て、アクセス数を見たがそれなりに見ている人もあって、未読のコメントも多くあって、少数だが批判的なコメントもある。

自分のブログには古いものもたくさんあるので、10年前にお前が予想していたものは10年後、違うことになっている、謝れ!みたいなものは笑うしかないのだが・・・ラジカルなところは覗かず、表面的な結果論で一喜一憂する姿は最近のワールドカップでも強く感じた。

まぁ、この国は昔からそうだし、それを痛感する度、無口になっていくから、文章化することもアホらしくなっていくわけだが、同時代の状況へ発言する姿勢は捨てたくないから、最低限のことは、言っておいた方がいいかなとは思うので、時々、更新しようかなと思う。

だけど、犬猫を多用するコマーシャルが氾濫する中で、何かのメッセージが届くとは思わないんだけどね(笑)まぁ、ここは自己満足の世界だから・・・

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2009年08月07日

エヴァンゲリオン2.0のエクリチュール

8ca7f3e1.jpg自分的には「何故20歳すぎの世代はエヴァンゲリオンにこだわるのか?」 から始まったEVA探索だったが、昨日、なんばパークスシネマで「エヴァンゲリヲン 新劇場版:破」を見に行って、あらためて納得した。

PM8:05のレイトショーだったが、女性同士の入場が目立った。
カップルも結構いる。
もちろんオタク風の男もいっぱいいる。

始まると私語する人は一人もいない。私の食べているポップコーンの音すら気になるくらいに、みんな真剣に見ている。

映像の美しさの進化に圧倒されると同時に、今回は恋愛ものとしても物語の質はかなり高い。

アスカが思い切り明るく振る舞った後の悲劇。

レイがシンジがゴミ箱に捨てたSDATをコクピットに持ち込み特攻していった後の悲劇。

アスカとレイがシンジのために料理を振る舞おうと慣れない包丁で指を傷だらけにしている姿。

特にオートリバースのSDATをレイが持っているシーンで、恥ずかしながら泣いてしまった。

今日の日はさようなら♪また会う日まで♪で、ボロボロ泣く。

まわりの女性も同じく泣きそうになっている。泣いている人もいる。

今の時代の気分と妙にマッチする主人公たちの限界値での行いに、見るものみんな感情移入しきっている。

EVAを見ることは羊水回帰の快感でもあるので、その気持ちよさは男女関係なく充分に伝わってくる。

そして自分には被害なく、戦場でのギリギリの感覚を見ているだけて゜味わえる戦いシュミレーションとして魂が思い切り揺さぶられるのだ。

また、暴走願望が満たされる。

さらに今回は、複雑系の創発に近い演出がされており、度胆を抜かれるシーンが数多い。

ユイ-EVA-レイの羊水回帰・母性逆襲、近親相姦に近いシンジの愛情表現は、エクリチュールとしては、かなり完成度が高く、その指標はまさにレイで(零)で零度のエクリチュールとなっている。

綾波-軍艦、零-零戦、エヴァンゲリオンは失われた母性が暴走しているキャラでもあり、薄っぺらな戦後教育をすべて吹っ飛ばすくらいの力を持っている。綾波レイは零戦特攻隊のような清さを彷彿とさせる不思議なキャラだ。それに対しアスカ・ラングレーはドイツ 人とのクォーターでアメリカ人、重要なキャラだがエヴァンゲリオンの本筋のストーリーからいうと、やはりレイには負けてしまう(笑)

エヴァンゲリオンの魅力は、薄っぺらな戦後教育、戦後社会を吹っ飛ばす力を持っていて、しかも戦争賛美ではなく闘争本能そのものを呼び覚ましてくれる力を持っている。

現在の20歳すぎ世代は、戦後のウソを見抜いてしまっており、エヴァンゲリオンに思い切り感情移入できる感性を持っているとすれば、その支持の理由はとてもよくわかる。

シンジとアスカの不同化、シンジとレイの近親相姦的な死んだエロス。

よくも国産でこんなストーリーとキャラを作り上げたものだと思う。

エヴァンゲリオンQでは何がおこるのか?

劇場版、新劇場版により、果てしなく進化し続けるエヴァンゲリオン。

探索していくうちに、思いっきりはまってしまった(暴走・笑)

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2008年12月31日

ゲゲゲの鬼太郎から学ぶもの

26268509.jpg最近、映画化されたり、TVでも何度目かの復活をして、ずーと衰えずにいる「ゲゲゲの鬼太郎」。自分も子供の頃、印象深く見ていた一人ですが、ウィキペディアなどで、「ゲゲゲの鬼太郎」「水木しげる」の歴史を見ると、非線形そのもので、人気シリーズになるまで、こんなに多くの隠れた歴史があったのかと、あらためて、驚きました。

それに比べて、今の世の流れというのは、構造は複雑化しているにもかかわらず、論理は短絡すぎるなぁと、コントラストとして感じました。

派遣切りは企業が悪い→派遣法が問題であり、救済実活動が必要なのにそれには触れないマスメディア。

金融危機はアメリカが悪い→自立のチャンスは幾度とありながら抑制し、アジアのリーダーにもなれず、未だに子分的な立場で甘いことをぐだくだ言っている日本人

ケータイ電話は学校に持ち込まない→ケータイ以上の教育とコミュニケーションが今の学校にあるかは問わない。

とにかく、概して、情緒と情緒をつなぐことしかできなくなっていて、その情緒の中に一緒にいたいという風潮といいましょうか…例外を許さないといいましょうか…

悲しいかな、知らぬ間に自分もそういう見方になんとなくなってしまっているなぁと感じるところもあります。

この間、子供に妖怪の話をすると、もの凄く食いつきがいいのに吃驚しました。「もっと話して…もっと話して」と。子供には、そういうむやむやうやうやした非合理なものも受け入れる心があって、今はそういう場所がぽっかり空いているのかもしれないなと…

水木しげるさんが「やっぱり妖怪なんていないんだ」と落ち込んでいた時に、次女が修学旅行で本物の妖怪(目目連)を目撃したことで、元気づけられたという話が面白かったですが、彼は世の矛盾という矛盾をすべて体験したような人生で、こんなに線で結べない人生もあるんだよなと驚くばかりです。

「墓場鬼太郎」ではあまりにも縁起が悪いのでTVアニメ化できないので、「ゲゲゲの鬼太郎」にタイトルを直したとのことですが、非常にインパクトの強いネーミングです。

しかも、水木しげるさんが小さい時、自分のことを、シゲルと発音できず、ゲゲと言っていたところから来てるあたりも行き当たりばったりで感動ものです。

但し、最近は妖怪より人間の方が怖くなっているような気がして、妖怪達が昔以上に可愛く見えるのは自分だけでしょうか……


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snafkin7
30数年広告畑で畑を耕しています(笑)コピーライターでありながら、複雑系マーケティングの視野からWebプランニング、戦略シナリオを創発。2008年2月より某Web会社の代表取締役社長に就任。snafkin7としてのTwitterはこちらからどうぞ。Facebookはこちらから。
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