2014年09月16日

不倫ドラマ『昼顔』の現象学

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先日、日本で実質的な「現象学」の紹介者、木田元先生が亡くなった。晩年は結構メディアにも登場され、持論も展開、福島原発に関する論考などはハイデガーやフッサールが蘇ったのかと思うほど、かなり深いところから言及され、高齢になっても「現象学」を素直に体現されているなと感心した。

その木田元先生にフッサールの著作に頻繁にでてくる「生活世界( Lebenswelt )」ついて授業の終わり、しつこく訊ねたことがある。
「先生、フッサールのいう『生活世界』って、この生活世界そのもののことを指すのですか?」
「彼の場合は、科学の世界というものが重かったからね。それをどうにかしないといけないと思ってたから、『生活世界』というのを強調したんだろうね。」
「日常そのものでもないわけですか?」
「日常そのものでもあるわけで、ただ、日常そのものもそれぞれの価値観でかなり歪んでいる場合もあるからね。それを相対的に見つめることも難しいわけで、それを客観的に見つめる方法を示したかったということなんだろうね。普通の科学者と違うのは、地盤を「生活世界」にすれば、理論や科学の暴走は回避できる、そういう立場なんだろうね」
「そうなんですか。」

当時の自分はフッサールの「生活世界」という言葉にかなりワクワクしていた。諸科学が究極の客観性に向かう中で、その地盤は「生活世界」で、ここを純粋に見つめていくことも学問たりうるというのは、大学に残るつもりはなかった(残れなかった)自分としては、これから身の回りにおこるすべてが、積極的に解読する対象となるのかと思うと、変に元気がでたのを覚えている。

だから卒論の面接の時も
「先生、僕は「生活世界」に出ていきます」と
そして、先生も笑顔で
「がんばりなさい」
と爽やかに言ってくれた。

今思えば、それなりにおしゃれな会話だったなと思う。

前置きが長くなったが、そういう意味で、視聴率15%を超える、不倫ドラマ「昼顔」は放おっておけないものだ(笑)また、このドラマが、雑誌やワイドショーがとりあげた「平日昼顔妻」現象を下敷きにしていることを知ると余計に興味が湧いてくる。

たとえ、「平日昼顔妻」という言葉が雑誌・DRESSの編集長 山本由樹氏が生み出した造語で、「美魔女」と同じく、何らかのブームを作り出したいマーケティングの一貫だとしても、それこそ「欲望のマーケティング」だとしても、そこにデータと少なからず共感がある限り、単なる仕掛けではないはずだ。

何年か前のファッション雑誌の統計では、30〜40代のA.離婚率は30%、B.家庭内離婚の状態が30%、C.幸福な結婚生活をおくっている人が30%とあった。この時でもA.とB.は想像よりも多くびっくりしたが、「平日昼顔妻」という現象が表面にでてくるというのは、B.の状態がさらに増えているのではないかと推測したい気もする。
また、ドラマのように利佳子(吉瀬美智子)がB.とすると、初めはC.の立場の紗和(上戸彩)もきっかけによっては、B.A.に転じる危うさもある。そして子持ちの利佳子(吉瀬美智子)よりも子供のいない紗和(上戸彩)-裕一郎(斉藤工)の関係となると、純愛の環境が整ってしまう。

今回のドラマ「昼顔」が以前の不倫ドラマと違うのは、女主人公たちがA.への破局に行くことを覚悟しているにも関わらず、男主人公たちは、収まりの悪いであろうB.にまた収めよう収めようとしていることだ。一方は探偵まがいのことをして妻の不利な材料を集め携帯や車まで取り上げて自由を奪い外出の機会をなくし、一方は妻の告白に耳を塞ぎ、料理を作ったり、童謡を歌ったり、今起こっていることをなかったことにして平凡な日常に引き戻そうとする。どちらの妻も家出をするが、男たちは離婚を望んでいない。B.からA.にも、もちろんC.にも行けない女主人公たちは、行き場がない。この妻たちは、いったいどこに行くのだ。一方は元妻をビジネスパートナーとして近づけ引き離そうとし、一方は両方の職場で不利な立場とされ、追い詰められる。

こうやって見ると、脚本家の井上由美子さんは「平日昼顔妻」現象を扱いながらも、それを素直に再現しているわけではないことがわかる。現実の「平日昼顔妻」は決してそれをバレないようにするからだ。かといって井上由美子さんは、これらを道徳的に諭すわけでもない。「平日昼顔妻」の本当の居場所を示したいという意味では、恋愛(不倫)ドラマとしては、物凄く新しいことにチャレンジしているように思える。このドラマに死の臭いがしないのは、夫婦のエロスは死んでいても、恋人とのエロスは喜びに満ちあふれている。ツライ環境に追い詰められれば追い詰められほど、燃え上がっている。そして、その炎も鎮火させられ、恋人とのエロスも死の地点がくるのだろうが、本当の「愛」だけは見失っていないというか、本当の「愛」を希求している女主人公たちは身体的な死を選ばないだろう。

9話の今では、このドラマの着地点は見えない。しかし、源氏物語の宇治十帖のようなエロスが凍結されたままの世界で終わるような気はしない。

紗和(上戸彩)の最後のモノローグに、どんなメッセージがこめられるのか?単なる罪と罰の世界ではない、新しい生活世界が示されれば、現実の「平日昼顔妻」たちも夫のいない部屋でこのドラマの録画を見ながら、小さな希望をみつけるのではないかと思う。

そして関係ないのかもしれないが、生活世界を純粋に見つめない「STAP細胞」にまつわる暴走科学は実るわけもないし、身体的な死も出現し、不倫以上に醜い騒動だったと書いておく。

「ありのまま」をできるだけ「ありのまま」に見ることが現象学。アナと雪の女王の歌「ありのままの〜♪」の「ありのまま」という言葉が響く時代になったことはとても良いことだと思う。また、こちらも女性の新しい生き方を問う作品になっていることはとても興味深い。

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30数年広告畑で畑を耕しています(笑)コピーライターでありながら、複雑系マーケティングの視野からWebプランニング、戦略シナリオを創発。2008年2月より某Web会社の代表取締役社長に就任。snafkin7としてのTwitterはこちらからどうぞ。Facebookはこちらから。
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