2012年03月18日

吉本隆明さんのこと。

「いま、吉本隆明25時」という講演集本に私の文章が掲載されている。1987年くらいのことだ。

………そんな「共産主義」という言葉の使い方は、おニャン子クラブのファイナルコンサートの熱狂ぶりを「ファシズム」と呼ぶのと同じくらい無意味なことだ。「つまらない」という感情はしばしばあり、参加者全員そういう感情を抱いたかもしれない。けれど拍手の音だけはずっと大きかった。………それは多くの人は期待していなかったからではないか。つまらなくったっていい、とりあえず一つ始まる一つ終わる、その程度の拍手だったのではないか。その証拠に一番拍手が盛況だったのは、吉本隆明が、けっしてうまくない『大阪しぐれ』を歌った時だった。あの状況を「共産主義」という言葉でくくれるなら、くくってみたらいい。………吉本隆明はもうすでに冴えた存在でもなんでもなく、ましてや吉本信者でいることは意味のないことだ、と力説されていますが、その点を吉本隆明一人に還元するのはかわいそうなことだと思う。現在はまともに24時間生きていこうと思うには、あまりに難しい時代だ。冴えた分析や明晰な展望もなく現在をさまよっている吉本隆明は、私には孤独でもなんでもなく、むしろ楽しんでいるように思え、それを孤独と解釈する方が逆に孤独な存在のように見える。………


高橋源一郎、佐々木幹郎、芹沢俊介さんらと並んで、品川の寺田倉庫T-33号館で行われた24時間連続講演のことを書いているのだが、私の場合は「朝日ジャーナル」に先に掲載されていたものが転載された形となった。

当時は私も20代、まだ「吉本隆明」を卒業できなかった時で、吉本隆明擁護派にまわっていたのだが(笑)あらためて今読むと……

「つまらない」という感情はしばしばあり…

冴えた分析や明晰な展望もなく現在をさまよっている吉本隆明…


この時既にかなり冷めた見方をしていることがわかる。それを承知で掲載依頼してきたことは凄いなとも思うが、本当は、正直、このイベントにかなり期待して参加していた自分がいたことは確かだ。

この24時間連続講演には、凄いメンバーが身近にウロウロしていた。菅谷規矩雄さんは私の前で呑んだくれていたし、坂本龍一、糸井重里、島田雅彦、アラーキー、山田詠美さんとかも飛び入り参加、休憩時間にタバコを吸ってると、中上健次が火を貸してくれと寄ってきたりした。

もともと私と吉本隆明の文章との出会いは17歳の時、通信添削のZ会の問題に「詩的乾坤」の一文が出ていて、『なんだこの人、フツーの作家じゃないな』ということで、旭屋に著作物を探しに行ったことからはじまる。そこから勁草書房の全集を揃え、高校を卒業する頃には「戦後詩史論」あたりまでは読んでいた思う。大学に入ってからは東京ということもあって、講演会にはほぼ顔を出し、質疑応答でも何回か発言させてもらったことがある。高校、大学はほぼ染まっていたといっても過言ではない(笑)

大学を文系にしようと思ったのも「敗北の構造」を読んだからであり
就職時に急遽、広告系に変えたのも「相対幻論」を読んだからであり

私の人生の節目は結構、吉本隆明に左右された。社会や世界を読み解くにはかなりいい教科書だったことには間違いがない。

しかし、1986年、アイドルの岡田有希子が自殺した時に、新宿の紀伊国屋ホールで吉本隆明さんを中心に、それについて講演会があったり、銀座のホールで堤清二参加の広告のイベントがあったあたりから、何か満たされないものを感じ、そろそろ卒業しなきゃなと感じ始めたような気がする。1988年の日仏会館での「恋愛について」はとても面白い内容だったが、大阪から足を運ぶほどではなかったなと少し後悔していた記憶がある。

このあたりから何が変わったか、だが、自分だけのことでいうと、情報のとり方が変わったということがある。1980年代後半というとインターネットはまだないが、パソコン通信はあった。仕事でもパソコン通信普及の広告に携わっていたので、ニフティでいろんな部屋に顔を出していたような…それと、まさにバブル上昇期となって、品川の寺田倉庫の講演会が非常に地味に映るようになり、時代の派手な速度の方に眼がいくようになった。また、他の人にもれず、小沢一郎、麻原彰晃などを理屈づきで評価するようになって、かなり違和感を感じ、1996年、海水浴場で溺れた旨の連絡をもらった時は、自分の中で何かが終わったような気持ちになった。その後も著作物はすべて目を通していたが、やはり満たされない気持ちの方が強かった。

そしていよいよインターネット、ケータイ、の本格普及期になるのだが、ここからは吉本隆明をほとんど意識しなくなった。彼の語っている世界は、ここまで光を照らされていないという思いが強くなったからだろうと思う。原則論は原則論で素晴らしいが、ネットで変わっていく世界の方が面白かった。

それと私は吉本隆明の言葉で好きな〆の言葉があった。「敗北の構造」のあたりの講演会だったと思うが、「僕は世界が見えなくなったら、すぐに両手を挙げる、まだまだ大丈夫だ…」というような

だが、実際は親鸞の思想に影響されてか、最後まで発言を続け、迷走し続けた。

糸井重里さんとかが、ほぼ日で対談をし、NHKのTV出演までひっぱり出してきているのはあまりに悲しすぎた。構成もゆるく、時間切れで阿波おどりのように手を宙にむけたままの吉本隆明は正直、見たくなかった。それにスタンディングオベーションしている観客。気持ち悪かった。

山の降り方が難しい、着地の仕方がいちばん難しいと彼自身が言ってたことだが、彼ほどの人物でも本当に難しかったようだ。

とにかく多大な影響を受けたのも事実、考える訓練を教えてくれたのも事実、最後まで彼らしく情況に発言していくという約束を守ったのも事実。

複雑な気持ちがあるが、最後に残るのは感謝の気持ちだけ。心からご冥福を祈ります。

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30数年広告畑で畑を耕しています(笑)コピーライターでありながら、複雑系マーケティングの視野からWebプランニング、戦略シナリオを創発。2008年2月より某Web会社の代表取締役社長に就任。snafkin7としてのTwitterはこちらからどうぞ。Facebookはこちらから。
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