2012年01月03日

AKB48への別照射論-ライブドアショックとの関係

akimotoAKB48が2011年レコード大賞を受賞した瞬間、すべての関係が修復したんだなと思った。そして、メディアではこのブームがいつまで続くとかが語られるようになるが、そんなことを予想したって仕方がない。自分がAKB48に興味があったのは、このグループシステムがどうやって発想されたか、あるいはメディアの使い方だった。

グリコ江口愛実事件以前は、AKB48についてよく語っていたが、この事件以来、語る気持ちが急速に冷えていった。その後、乃木坂46、NMB48ブルマ事件、写真流出事件、がたて続けにおき、AKB48というのは完璧に計算されていたものではなかったんだなぁと思い始めるようになる。そして、秋元康氏が冗談交じりによく言う“偶然の産物ですよ”“運がよかった”の意味をもっと知りたいと思うようになった。

今まで、AKB48が始動した2005〜2006年に深く斬り込むことはなかったので、今回は複雑系の内部観測の手法を使ってこのあたりを別照射してみる。

よくよく思い出してみると、自分の体験でも2005〜2006年はかなり激しい動きのあった期間だ。2005年はインターネットやWeb事情にちょっと詳しいというだけで、ある広告映像会社のトップに呼ばれ、アライアンスやアドバイザー契約的なことを提案された。プレゼンにも一緒に連れていかれ、インターネットがいかに夢の媒体かよく語ったのを思い出す。そして何回かそういうことを繰り返すうち、その広告映像会社のトップも知恵をつけ、大手広告代理店の新年会で制作会社代表で挨拶をすることになり、インターネット&Webプロモーションの重要性を強調した。そしてその挨拶の壇上から降りてきて私の方に近づいて、固く握手されたのを思い出す。自分的にもかなり高揚感のある至福を味わった時だった。

しかし、2006年1月16日、ライブドアショックがおこる。これを境に自分に対する必要以上のちやほや感も急になくなっていった(笑)なんとなくよく覚えているが一言でいえば『インターネット関連はやっぱり水もんだった』というような雰囲気だ(笑)インターネット&Webに弱い人達は「やっぱりな」な〜んて笑顔で語っていたのを思い出す。それで仕事の量が増減したということはなかったが、ライブドアショックというのは仕事をする上での気分を大きく変えたのは事実だった。

この時、秋元康氏は何をしていたかを調べてみると、2006年1月5日頃、当時ライブドアの社長であった堀江氏の自家用ジェットに同乗しラスベガスの高級カジノホテル「ベラージオ」に滞在していた(ライブドア関連会社の社外取締役を務めていた頃)。そしてこの時既にニッポン放送株の敵対的買収問題は収まっていたが、秋元康氏はフジテレビグループからかなり睨まれていたらしい。そしてライブドアショックがおこり、秋元康氏もすぐにライブドアから離れるが、テレビ局との関係はフジのみならずあまりいいものでなかったことは想像できる。

2006年1月5日頃はインディーズデビューもまだだが、AKB48劇場はもう存在していた。第一期生募集が始まったのが2005年の7月で秋元康氏がテレビ局との関係を悪化させていた頃と重なる。秋元康氏自身が旧メディアに対してあまりいい思いを持っていなかったのも事実だろうが、秋元康氏にとってAKB48劇場というのは、生き残りをかけた、もう元に戻れない場所だったことがわかる。

そして、2006年1月16日、ライブドアショックがおこり、さらに堀江貴文という盟友も失った。

テレビ局からは距離をおかれ、ネットのドンは実質消滅、結構、孤独な時期だったのではないかと想像できる。

AKB48の特長としてよく語られる、テレビ(マスメディア)主導型ではない、ことは、使いたくても使えなかった事情もある。またインターネットメディアもライブドアショックによってプッシュ型のアプローチは難しいことになった。それで、テレビを使っても深夜枠、CS、ネットはソーシャル型と限定されるようになるが、これは完璧に計算されたものではなく、制限の上でのことだった。しかもテレビ深夜枠で冠を持つようになるのは2008年1月であって、音楽番組に単発で出演はするものの2005〜2008年は、まだマイナーアイドルのままだ。2007年には紅白初出場を果たしているが「アキバ枠」であり単独出場ではなかった。

そして、2009年1月、上のような流れにおいて象徴的な転換期が訪れる。フジテレビが主導する“アイドリング”との融合だ。AKB48の7名、SKE48の1名、アイドリング!!!の8名、計16名でAKBアイドリング!!!が誕生し、デビュー曲「チューしようぜ!」がポニーキャニオンからリリースされる。この時点において、秋元康氏とフジテレビグループとの関係は完全修復したとみることができる。

これでメディア環境が整い、電通さんあたりが力を入れるクロスイッチ戦略が発火する。絶妙なメディアクロスだ。握手会は原点であるものの多数のコンタクトポイントが用意され、360度のアプローチが人気を巻き込んでいく。下地をつくるという意味では2005〜2008年は大切な期間ではあったが、これはどちらかというと、神話づくりに役だっている。初めは劇場に7名しか入らなかったとか、篠田ですらチラシ配りをしていたとか…

まとめると、AKB48には二面性が存在する。ファンとのふれあいを本当に重視していた2005〜2008年の時期と、メディアクロスが可能になり爆発した2009〜2011年。これはずっと矛盾としてひきずっていくことになると思う。

ただ、AKB48は矛盾を幾多も発生させながら、「握手会」「テレビ深夜枠+ソーシャルメディア」「360度アプローチ」という有効な手段を指し示した。さらに新しいアイドルサウンドを目指した楽曲と気の利いた作詞からなるソングはそうそう凹むものではない。

AKB48はブームというよりもモデルだ。

自分にとっては新鮮味はかなり薄れてきたが、この矛盾だらけの新モデルが、今後どうなっていくかは興味深い。最悪の状況を乗り越え、最強の手法を使って展開しているAKB48グループ。そして握手会に参加してただのファンになってしまった乃木坂46(笑)まだ、しばらくつきあっていこうと思う(笑)

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1. 指原とみるきーが似ていると地下で話題に  [ 2ちゃんねるまとめ - AKB関連(総合) ]   2012年05月15日 20:11
1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/06(日) 08:54:53.83 ID:f4qOfzy/0系統同じ?

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30数年広告畑で畑を耕しています(笑)コピーライターでありながら、複雑系マーケティングの視野からWebプランニング、戦略シナリオを創発。2008年2月より某Web会社の代表取締役社長に就任。snafkin7としてのTwitterはこちらからどうぞ。Facebookはこちらから。
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