2012年01月01日

高視聴率ドラマの共通点

marumori年末、娘二人がフジテレビの再放送「マルモのおきて」をかなり真剣に見ていた。娘たちがアニメ以外でこんなに盛り上がっているのを見るのは初めてで、私も見逃していたということもあって、いつのまにか一緒に横に座るようになった。「マルモのおきて」は最終回視聴率は23.9%だが、初回の視聴率(11.6%)から2倍超えを記録しており、これは21世紀に放送された日本のTVドラマとしては初の快挙らしい。

見ていてすぐ気がついたのは、最終回視聴率40.0%を記録した「家政婦のミタ」と構造が似ているなということ。

どちらの家族も母親不在の設定から始まっている。
●「マルモのおきて」-双子の薫と友樹の母親は育児ノイローゼを患い2人を捨てる形で家出している。
●「家政婦のミタ」-夫が不倫し、さらに離婚を提案され絶望し4人の子供を残して入水自殺している。


オリコンのドラマ解説などでは、東日本大震災の影響をあげ“崩壊しかけた家族が絆を取り戻していく家族愛“という共通点をあげているが、「マルモのおきて」に関しては4月スタートであり、途中で軌道修正はあったかもしれないが、震災を強く意識してできた作品とは考え難い。また上のように育児ノイローゼ、夫の不倫による絶望と家族崩壊(母親不在)の原因があまりに時代的な関係性によるものとなっている。

2011年の紅白歌合戦のように何でも東日本大震災と結びつければOKという単純な思考回路を私は持たないので、オリコンのドラマ解説のような解説では満足しない。というのも「マルモのおきて」も「家政婦のミタ」も家族ではない第三者が家族に入り込んでいる。「マルモのおきて」では薫と友樹の実の父親の親友の高木護(マルモ)が主役(阿部サダヲ)だし、「家政婦のミタ」でも文字通り家政婦の三田灯(ミタアカリ)が主役(松嶋菜々子)で、子供達の実の父親でもなければ母親でもない。“崩壊しかけた家族が絆を取り戻していく家族愛“とは単純に言えない設定だ。

正確に言えば、母性のなくなった家族が第三者の目(存在)を通して、人間愛のようなものを取り戻していくドラマという方が近い。

なぜこのような設定のドラマが高視聴率をとるかというと、設定が現実に近いということがひとつと、その現実の悩みにとどまることなく、何かがソリューションされており解放感が味わえるということではないか?もちろん高視聴率の要因として芦田愛菜ちゃんや鈴木福くんが可愛いとか本田望結ちゃんが可愛いという子役の力もあるだろう。しかしそれだけでは40.0%であるとか初回視聴率2倍超えなどという数字は記録できないだろう。何かが視聴者と向き合い共感させているはずだ。

ドラマでは、『育児ノイローゼで家出』『夫の不倫原因で自殺』という極端な設定で家族の中の母性を剥ぎとっているが、おそらくフツーの家族であっても、社会環境の圧迫によって、母性らしい母性を持てない状況になっていることは誰でも感じる。そして「マルモのおきて」では父親もガンで亡くなり、「家政婦のミタ」の父親は生きているものの、不倫で会社をクビになり、ただオロオロしている存在として父親が描かれている。

母性も父性の拠り所もない精神的に崩壊した家族に、それでも一緒にいることはまだ幸せなんだと諭すのが、第三者的な存在、ドラマタイトルにストレートに入ってる父親のかつての親友(マルモ)であり、もっと不幸な家族体験をした家政婦(ミタ)である。

視線を換えれば、【マルモ】や【ミタ】は現在の家族状況を超客観的に眺めている存在であり、視聴者は普段は近すぎて行使できないこの視線に共感をし、そもそも家族とは何なのかを見つめ直し、いろいろ考えさせられ、何かを会得しているということではないかと推測する。

「マルモのおきて」では、おきてノートの「遠慮は無用」「好きでも嫌いでも家族」「ケンカしたあとは、ペコリンコビーム」「はなればなれでも家族」という言葉。「家政婦のミタ」でも松嶋菜々子が自分の不幸と比較して語るセリフの中に同様の言葉が入っていたように思う。

この二つのドラマは家族という私的な枠組みに、あえて第三者を入れることによって、現在の家族のあり方(崩壊している現況)をみつめることができるようにした新しいタイプのドラマということができるような気がする。メタファミリードラマ、決して家族愛を押し付けてるわけではない。

自分自身「好きでも嫌いでも家族」「はなればなれでも家族」という言葉(思想)は結構共感したし、超客観的な家政婦のミタさん的存在も何かをブレークスルー存在として頼もしく思えた(笑)

2011年の紅白歌合戦を見ていて、やっぱり日本というのは手ぬるいなと思った。「歌で元気になる」ひとつを信じきって歌いまくるミュージシャンも幸せだなと思った。「歌で元気になる」ことも確かだが、それがすべてではない。政府に対して、東電に対して、向きあうようなメッセージが一つもないところに根本的な復興も何もないだろう。まぁ紅白歌合戦はいつの時代も空白歌合戦だから仕方のないことだが…

それはそれとして、2011年に高視聴率ドラマが出現したことはいいことだと思う。2012年もできるだけ見ることにして、細かな時代の変化を感じ取れたらと思う。












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コメント一欄

2. Posted by snafkin7   2012年01月02日 17:22
5 kasttbsさん コメントありがとうございます。

単なる“感じ”ですが、2012年はもう向こう側に行ってる時代のような気がします。暗い、明るい、というより、向こう側っていう感じ。少し丁寧に見ていってみようかなと思います。
1. Posted by kasttbs   2012年01月02日 15:16
5 紅白についてはまったく同意。予想通りですが、ああいう作り方をすれば楽ですからね。情緒に流され過ぎてる間は日本もダメでしょう。
マルモとミタ、面白い分析です。
「こっちはこんなに苦しい過去を背負ってんだから、おめえらなんかまだまだマシなんだよ」というありがちな社会教訓めいた話を、脚本の力で素晴らしくドライな方向に導けたのが成功のポイントのひとつだとも思います。久々に全話観たドラマでした。

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30数年広告畑で畑を耕しています(笑)コピーライターでありながら、複雑系マーケティングの視野からWebプランニング、戦略シナリオを創発。2008年2月より某Web会社の代表取締役社長に就任。snafkin7としてのTwitterはこちらからどうぞ。Facebookはこちらから。
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