2011年10月01日

ツッコミ文化拡張論-漫才ギャングが示したもの

漫才ギャングここのところ品川祐の2作目監督作品「漫才ギャング」DVDを毎日見ている。その理由は、成立しないものが成立しているからだ。この映画には飛夫(佐藤隆太)と龍平(上地雄輔)の友情のようなものが描かれている一方、飛夫(佐藤隆太)と由美子(石原さとみ)の恋愛も描かれているが、この恋愛シーンがいたくピュアに見えてしまうのだ。特に関係性に凝った演出があるわけでもなく、一旦わかれた男女がよりを戻すだけの話なのだが、クサクも感じず、退屈もせず、優しい視線で見守ってしまう自分がいる。これは本当に珍しいことだ。

恋愛ドラマや恋愛映画を見ている時のいつもの自分、「んなわけねぇーよ」というツッコミが発生しないのだ。これは最近ではとても珍しいことだ。

なんでだろうと思って何回も見てしまっているのだが、この映画の中には、漫才がテーマということもあって、劇中に機関銃のようにツッコミのセリフとボケのセリフがあふれており、お腹いっぱい状態になっていて、このストーリーに対して自分からツッコむ気力がなくなってしまっている。言い方を変えれば、劇中で特にツッコミのセリフが満ち溢れているため、真空状態となって、この劇中の恋愛に対して口を挟めなくなっている。そして、この男女のセリフにも漫才要素が混在する。

チャプター13の別れた二人が公園でよりを戻すシーン

由美子「どうする?」
飛夫「どうしよ」
由美子「どうする?」
飛夫「どっか行く?」
由美子「いいよ どうしようか」
飛夫「もしあれだったら、うちくる?」
由美子「どおしよおぉ、男の人にうちに誘われちゃったァ・笑」
飛夫「ついこの間まで、一緒に住んでたじゃん」
由美子「じゃあ、お邪魔しちゃおかなっ」


由美子(石原さとみ)が可愛くボケて、ボケ役の飛夫(佐藤隆太)がツッコみ、バツの悪かった二人の関係が急速に和んでいく。

劇中でボケとツッコミが成立すると、それがバリアとなって恋愛シーンがフツーに流れていくことが許される。その後、ありがちな妊娠の会話となるわけだが、そこでも「またそれかよっ」というようなツッコむ気にもならず、ただただ、石原さとみって可愛いなぁ状態となってしまう。確かに可愛いのだが…笑

これに良く似た現象が、HEY!HEY!HEY!なんかでも感じる。あれだけフジテレビの韓流偏向を批判されながらも、韓流特集を続けるHEY!HEY!HEY!。しかしHEY!HEY!HEY!ではダウンタウンの浜田が、「また韓国ロケかよっ」とツッコむことで、視聴者は解放され、松本が変態ボケで番組を楽しいものに仕上げている。ダウンタウンはもろ韓流の台本の中にいながら、ツッコミ、異世界でボケることで、まったく加担しているわけではない状態となっている。

以前、早稲田大学 文化構想学部 岡室美奈子教授「日本人にツッコミ文化が定着した理由-恋愛ドラマの人気低迷 ツッコミ文化の影響・宣伝会議掲載」に感銘をうけて書いたブログ記事「ツッコミ文化が日本を正常にしていく」はYahoo!ニュースにまで取り上げられてしまったが・笑、教授が指摘するところの、ツッコミ文化が恋愛ドラマを駆逐している状態は今でも続いている。

前クールドラマでは、「全開ガール」や「ブルドクター」は健闘したと思うが、これにしても純粋な恋愛ドラマではなく、弁護士もの医療ものという衣装を着せて、その中で恋愛を見せている手法となっている。

最近なんだか思うのだが、ツッコミ文化の影響で『恋愛ドラマ』だけでなく『恋愛』そのものも成立しにくい状況となり、その代替システムが生まれる構造になっているのではないかと…

ツッコミ文化を推進した2004年頃のmixi、GREE、2006年のニコニコ動画が始まったあたりから、地下に潜っていたアイドルはあぶり出され、やたら明るいアイドルグループが乱立しはじめる。その極みは2005年から始まったAKB48だが、2005年あたりは、ツッコミ文化が加速し始める時期でもあり、ブレイクするのはTwitterでツッコミがたたみかけられる2009年〜2010年と重なっているように見える。

『恋愛』が成立しにくくなった社会構造の中で、『擬似恋愛』のようなものが体験できるAKB48のようなアイドルグループが支持され、今ではアイドルグループ戦国時代というよりも溢れかえっている・笑

そして、今起こっているのは、『擬似恋愛』対象としてまつりあげたアイドルグループにさえ、ツッコミを入れ始め、過去のプリクラを抉りだしてみたり、握手会で暴言を吐いたり、『擬似恋愛』対象も自分たちでツッコミ壊し始めている。

それは自然な流れであって、ツッコミ文化はいろんなところにぶち当たりながら、壊すものは壊し、整えるものは整えていくと思うが、これから先、どうなっていくかはもちろんだが予想できない。

話はあちこち行ったが、映画「漫才ギャング」が示したものは貴重だった。

成立しにくくなっているストーリーの穴をツッコミ、ボケることで、リズムよく流すことができるということを実践してみせた。それは恋愛ドラマというよりも恋愛コントになってしまうかもしれないが・笑 表現の可能性としてはかなり先をいった見せ方だと思う。

社会、政治自体が大ボケをかますことが多い時代、ますますツッコミは激しくなっていくだろう。しかし、それはいいことだ。ボケをかましたら、きめ細かくツッコんでいくしかない。

ツッコミはピラニア。

いらないものは、どんどんピチャピチャ、骨にしていけばいいのだ。










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コメント一欄

1. Posted by 壱号   2011年10月14日 18:36
はじめまして。

初訪問です。
これからものぞかせてもらいます。

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snafkin7
30数年広告畑で畑を耕しています(笑)コピーライターでありながら、複雑系マーケティングの視野からWebプランニング、戦略シナリオを創発。2008年2月より某Web会社の代表取締役社長に就任。snafkin7としてのTwitterはこちらからどうぞ。Facebookはこちらから。
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