2011年06月10日

前田敦子の超越論的現象学

maeda前田敦子はデビュー前、秋元康から今後何をしたいかと訊かれ「演技がしたい」と答えている。「会いたかった」のPVでもオープニング、ラストシーンを演じ、最後に彼に借りたCDを返すシーンは今思えば、本当に青春をピュアに演じている。

A3rd「誰かのために 」公演の頃、市川準監督の最後の映画「あしたの私のつくり方」に準主役に抜擢されているが、その時、もう映像のプロからは稀な存在感をもった女性として気にされだしたのではないかと思う。この「あしたの私のつくり方」の主役は成海璃子で、どう見ても容姿的に成海璃子の方が主役らしいのだが、二人が並ぶと主役よりも前田敦子の方が何かひっかかるというような不思議な重さがあった。今、上映されている「もしドラ」映画でもそうだ。どう見ても13代三井のリハウスガールの川口春奈の方が容姿は整っているのだが、前田敦子とツーショットとなると、やはり前田敦子の方がそこにいる存在感は大きいのだ。

その理由を言葉にしていくことは至難の業だが続けていく。ハイデッカーやフッサールが延々と目にみえない「存在そのもの」をしつこく語っていくうちに「存在そのもの」が浮き彫りにされていったように、前田敦子の「存在感」「オーラ」に注視していくことで、彼女のその奥にある魅力が見えてくるかもしれない。

6/9の総選挙で前田敦子が2位の大島優子に「私はいろんな面で優子より優れているところがない」という意味あいのことを言った後に大島優子が前田敦子にこんな言葉をかけていた。「あっちゃんはAKBの顔です。前を向いて笑っているだけでいいです」

実は、雑誌Otome vol.6の「大島優子×前田敦子 マジ女テッペン初対談」で大島優子は前田敦子にこんなことを言っている。

「あっちゃんは目がいいですよね。謎の目をしている。……色々考えているんだろうな、でも何を考えているのかわからないなっていう謎めいた目がすごく魅力的。それに顔がちっちゃくてスタイルがいい。手脚が長くていいなぁって。」

大島優子は前田敦子のストイックなところ、無邪気なところも指摘していたが、上の言葉をみる限り、前田敦子のもって生まれた謎めいた存在感やスタイルに魅せられていることがわかる。

大島優子は努力の人でもあるが、努力しても手に入らないものとしての前田敦子の恵まれた存在感を充分意識し認めている。

大島優子は2位→1位→2位になって、総選挙で素直な言葉を発していた。

一方、前田敦子は1位→2位→1位になって、まだ自分の魅力を把握できず、感動に震え、自分をコントロールできない状態で体を何度も折り曲げていた。

次の前田敦子の発言が秀逸だった。

「私のことを嫌いな人もいると思います。私のことが嫌いでも、AKBのことは嫌いにならないでください。」

これは美少女の発言でないことは誰でもわかる。そんなに可愛くもないのに、なんであんな人気があるんだと、どこかで耳にし、自分でも不安になって、自信のなさが表現された言葉だ。

何に対しての1位なのか。自分でもよくわかっていない言葉だ。

ただ、この1位は、みんなが求めた結果の1位であることは事実なのだ。

簡単に言えば、美人よりも美心を求めた。前田敦子の存在の奥にあるピュアさに惹かれていることは確かだ。

雑誌ブルータスの吉本隆明特集の時、篠田麻里子がこんなようなことを前田敦子に言っていた。「あっちゃんを見ていると可愛そうだなと思う。あまりにも若いときからAKBに入ったから、フツーの学園生活も体験できてないし、青春を全然楽しんでいないままレッスン、レッスンの毎日に…」

柴咲コウに憧れてAKBに入ったものの、AKBではエース格になるものの、青春として欠けていったものが多いというのだ。

しかし、それを前田敦子は思いっきりプラスに転換していた。映画「もしドラ」の演技だ。

「あしたの私のつくり方」「マジすか学園」「龍馬伝」「Q10」「桜からの手紙」「マジすか学園2」と映画・ドラマを見てきたが、「もしドラ」映画の演技は、それらの域を大きく越え、女優としてやっていけるのではないかと思わせるほど役になりきっていた。

SPA23周年記念特大号のロングインタビューで「私が現実に学園生活でできなかったことをこの映画の中で演じて、それを自分の学園生活としたい…」と

あまり期待せず見た映画だったが、「もしドラ」パンフの秋元康も語っているように、あまりの自然な演技に驚いた。こういう女子高生いるよなぁと思わせるほど、今までの前田敦子とは違う、どこかネキストステージにいった、成長した前田敦子がスクリーンにいた。

そのパンフで秋元康はこういう表現をしている。
「前田は中学2年14歳からAKBに入ったので、無垢な赤ちゃんの状態から始まりました。そこからいろんなことを吸収してきたんですね。だから吸収力は凄いなと思います。」

前田敦子の魅力に近づいた表現だ。前田敦子は無垢な赤ちゃんの状態から、AKBでフツーの女子高生が味わえないいろんなことを素直に吸収し、純粋培養されてきた。ダンス、歌、演技を通じて完全ピュアな、今の時代にありえない美心を身につけた。昔の巫女のような存在なのだ。美人ではなくても美心(美神)を身につけた。

第3回総選挙1位発表の時の、あの極端に震えた姿は何かがとりついたような神々しさがあった。彼女の魅力はそういったいつまでも透明な気持ちを持ち続けているところにあるのでないかと思う。

それが大勢が求めていることでもある。

前田敦子の「存在そのものの」の稀さは「ピュアな存在を維持している」ことでもある。

以前、私は「記号の森の中のAKB48」

前田敦子の3冊連続写真集を手に入れてみた(笑)よく聞く声が「前田敦子って、そんなに可愛いと思わないけど、なんであんなに人気があるんだ?」正直、私もそれが不思議で仕方なかった。ハワイver 東京ver ニューヨークverそれぞれをつらつら見ていると、あることに気がついた。前田敦子は、東京にいるより、ハワイやニューヨークにいる時の方が地場の人のように見えるのだ。現地にいる日系人のような不思議な存在感がある。ダウンタウンの黒人と一緒にいる時の写真は、まったく違和感がないほど、現地の日系人に見える。また東京にいる時は逆に日本に留学にきている東南アジアの娘のように見えてしまうのだ。そういうエキゾチックな魅力が前田敦子にはあるのだと思う。純和風でもなく洋風でもなくアジアングローバルな魅力がある。存在そのものがなんだか懐かしい感じ…そしてそんな感じのするアイドルは今まであまりいなかったように思う。


と書いている。

パフィの歌で「アジアの純真」という歌があったが、前田敦子はアジアの純心なのだ。

非常に複雑になった世の中、人々が求めているのは本当にシンプルなこと。

そしてそれが、何をあらわすのかはまだ誰にもわからない。

さらにそうは言っても前田敦子はまだまだ言葉化できない存在だ。

これからも前田敦子を見ていくしかないのだ。

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30数年広告畑で畑を耕しています(笑)コピーライターでありながら、複雑系マーケティングの視野からWebプランニング、戦略シナリオを創発。2008年2月より某Web会社の代表取締役社長に就任。snafkin7としてのTwitterはこちらからどうぞ。Facebookはこちらから。
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