2011年04月19日

まゆゆという記号を体系づける写真集

mayu15月13日(金)に発売されるAKB48 渡辺麻友のファースト写真集。CGアイドルとも呼ばれる“まゆゆ”がこんな生身で表紙になってることがあまりにサプライズだ。
これは、秋元康独特の逆説だと思う。フツーであれば、もっと清純ラインか、萌えクールなラインかにもっていくはずが、ありのままのまゆゆを生まれたての卵のようにさらしている。

よく考えれば、まゆゆほど急速な神話作用でイメージがつくられたアイドルもいないなと思う。多くの写真、多くの映像、多くの音声で、完璧な美少女像ができあがっていった。アニメオタク、マンガオタクという趣味もそれを増幅していった。自分でも「二次元しか愛せない」キャラを演じ、ミュージックフェアなどでもバレンタインチョコの渡し方の仕草がアイドルとして完璧だと絶賛されてもいた。

ただ、完璧な美少女(CG)アイドルというデノテーション(顕在的な意味)だけが前面に出てしまって、まゆゆのコノテーション(潜在的な意味)というか時代的な意味作用についてはあまりに語られずに来た。

おそらくこの写真集はまゆゆ存在の意味、根底の意味までビジュアル化し、もう一度まゆゆの意味体系を整え、新しい神話を再構築する試みとも捉えられる。

写真集では具体的に「こんな美少女が同級生だったら?」「彼女が同じ町に住んでいたら?」と設定されているらしいが、それ自体がフィクションであり、現実にはありえない設定だ。この写真集の企み(コノテーション)とは、「ね、こんな娘はどこを探したっていないでしょ、いないよねぇ」という圧倒的なメッセージだ。

芸能界で完璧な美少女は数多くいるが、身の回りを見渡しても、そこそこ出かけていっても絶対いないであろうレベルの美少女は希有だ。

まゆゆはこの写真集で、美少女という存在を意味の二重構造を紡ぎながらブレなく示していくはずだ。

「安全だ」というメッセージを強く発しているところには必ず「安全でない」何かが潜んでいる。
「エコ」というメッセージを強く発しているところには必ず「エコでない」何かが潜んでいる。
「隠していない」というメッセージを強く発しているところには「隠しごと」が潜んでいる。

現代のデノテーションとコノテーションの関係はそんな反作用的な関係に成り下がっている。

しかし、まゆゆのように意味をどちらから眺めても反作用の関係にならない純粋な二重構造もあるのだ。

秋元康が写真集の帯に書いている「大人になんかなるな」の意味もよくわかる。完璧な美少女アイドルは内面からつくられているのであって、いろんな皮をむいていってもその原形が必ずそこにあるのだ。

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1. Posted by まみなみ   2011年04月20日 18:34
めっちゃかわいいですね(^^♪
これからも応援してます!

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30数年広告畑で畑を耕しています(笑)コピーライターでありながら、複雑系マーケティングの視野からWebプランニング、戦略シナリオを創発。2008年2月より某Web会社の代表取締役社長に就任。snafkin7としてのTwitterはこちらからどうぞ。Facebookはこちらから。
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