2011年02月18日
AKB48の桜が意味するもの

AKB48が卒業シーズン、歌っている「桜」の歌は
1) 2006年 桜の花びらたち
2) 2009年 10年桜
3) 2010年 桜の栞
4) 2011年 桜の木になろう
などがある。
1)は、主語が「私たち」と「私」。桜は涙と希望のメタファーとして歌われ、旅立ちの切なさを演出している。
2)は、主語が「僕」で愛しい「君」に語られ、桜は美しい思い出の場所として設定され、10年後に会おうと約束している。
3)は、主語は存在せず、桜は区切りのメタファーとなって、別れ、涙、未来、心、あの日の栞となって高度な修辞的道具となっている。
4)は、主語が「僕」で特定ではない「君」に語られ、僕が永遠の桜の木になってみんなのシンボルツリーになって守ることを誓っている。
簡単な解析だが、1)〜4)の変遷を見るだけでも、AKB48がどのようなアイドルとして成長してきているかがわかる。
初めはよくある卒業ソングを自分たちの視線から語りかけ、情緒の世界で歌っていたものが、今度は「僕」というファンからの視点に変わり時間性を加えてドラマチックに仕立てられ、「桜の栞」に至っては「私」と「僕」の距離感もなくなり、桜を一緒に見ているような情景の中に溶け込んでいるような設定となり、「桜の木になろう」では「私」や「僕」でもない何か大きな存在(意志)が、涙や悲しみより、生まれ変わりや決心を信じ、前に歩くことを応援しているような歌となっている。
「涙は大人になるためのピリオド」
「心の道に迷っても愛の場所がわかるように立っている」
「満開の季節だけを君は懐かしんでいてはいけない」
「永遠の桜の木になろう スタートの目印になるように
花びらの全てが散っていても枝が両手広げながら待っている」
桜の花びらをメタファーに綺麗な歌を作詞できる作詞家はたくさんいるが、桜の枝や幹、木そのものの存在をメタファーにこの季節の歌の作詞をできるのは、おそらく秋元康だけだろう。
彼は桜のはかなさよりも、永遠の桜の木というバーチャルツリーをイメージし、今までにない応援歌をコンセプチュアルにつくりあげている。
そして、それは今のAKB48の存在感ともクロスし、この愛ある「僕」は永遠の桜にメタモルフォーゼされ、すべてを優しく包む。
現代詩が意味性を排し、修辞的な記号に溺れていく中で、秋元康は、メッセージに強くこだわり、短い言葉の可能性を最大限に実験してきた稀な作詞家だと思う。
伝わる言葉。
それにこだわってきた。
修辞も演出も伝えるためのもの。
初期出荷110万枚がいろいろなおまけのたまものという意見がまた出るだろう。
それもある。
しかし、「桜の木になろう」の「僕」は、秋元康やAKB48の決心でもあるのだ。
一緒に新しい時代をつくっていくべきではないか。
腐りきった政治や社会を単なる肥やしにして…
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