2005年04月17日
文化の18年周期説とは?

伊藤さんのコラムがまだ、続いていて
アメリカの「サマー・オブ・ラブ」→イギリスの 「セカンド・サマー・オブ・ラブ」の流れを書いていて それが、1969年→1987年と、まぁたまたま18年 となっているので、2005年が次の18年後なので 今年は何か起こるはずだというような、本気かどうか わかりませんが筋になっていました。
はたして、そうなのか?
この意見には、???、がつきまといまして、 「サマー・オブ・ラブ」は、まぁ、そうとして、 「セカンド・サマー・オブ・ラブ」が1987年と限定できるか どうかなんですよね、現場を見たわけではないので… あれですが、歴史的な年表を見ると、1988年とも書いてるし 1987年はデトロイトテクノの産声の年です。
まぁ、なんとなく、コラム的に面白く書こうとしたのかも 知れませんが、歴史が何年かの周期を持っていると考えるのは どうも、私はあんまし、好きじゃないんですね(笑) ファッションの世界でもよく言われたりしますが それも無理矢理の世界なんでね。
文化の18年周期なんか、言われたって、 今のメディア事情を考えれば、「サード・サマー・オブ・ラブ」なんて おこるわけないじゃないですか?って言いたい(笑)
しかも、伊藤さん自身、かなり前のコラムで ゴア→イビサ→イギリスのルートを書いてるのに、今回は イビサ→イギリス→ゴアの流れを書いていて まぁ、その辺はどうでもいいんですが(笑) んーん、どうなんでしょう?と思ってしまいます。
18年で文化的な何かがおこるなんて、かんなり他力的で 文化的な何かなんて、毎年おこってますから 見ようによってはなんとでも言えると思います。
「セカンド・サマー・オブ・ラブ」を神話化した時点で もう、現代との接点がなくなってしまうと思います。
それを題材にした映画もいくつか見ましたけど はぁ、それで?という感じなんですよね(笑)
現在の最高のアンチ姿勢は、肉体的精神的に戦うことではなく “自分自身がウィルスになること”とURのマッドマイクが言ってるように 暴力的に権力と戦ったり、精神的に世界認識を深めて開示することの 意味性があんましないのですね。
音楽にしても、自分自身が音楽になることが最高のアンチかもしれないですし 真実としてのウィルスとして貫くことが最高のアンチかもしれません。
現象としての「サード・サマー・オブ・ラブ」なんてどうでもいいです(笑) 私が思うに、イギリスあたりが結構つらかったのは XTCが、頑張れナイジェルの歌を歌った頃じゃないでしょうかね。
★Making Plans For Nigel★
やり場がなく、希望がなく、はけ口がなく、やりきれない、
「セカンド・サマー・オブ・ラブ」の頃はある意味、うかれ狂える頃でも あったよな… そっから、トランスが生まれて、果たして、それで良かったのか? 薬がなければ、ただの反復ミュージックではないのか(笑)みたいな。
しかし、中国の反日デモはおさまりませんね〜 いちばん深いアジア地帯ですから、曖昧模糊としてよくわかりません。 マルクスの「共産党宣言」の序章など今から過去、誰も読んだことのないのに 共産党ですからね。
中国、ロシアで革命をやってはいけない、何故なら、歴史的に成熟していない 地域だから、って書いてあるのに、両国で革命を突っ走った。 ロシアはつぶれ、中国は資本主義路線へまっしぐら。 曖昧資本主義に足を入れてしまった人民と共産党政府の矛盾のはけ口を 反日というスローガンにすりかえて、暴徒化しても 日本製品つくってるは、中国自身じゃないですかね。
ああいう形でわかりやすい行動ほど、今やお笑い草です。
だから、わかりやすい「サード・サマー・オブ・ラブ」なんていらないのです。
上海の南京路のラーメン屋が放火されてるのを見て 悲しい気分になりながら 上海のローソン(羅森)にいたポンビキの言葉を思い出します。 「大阪と上海、姉妹都市ネ、日本人と中国人、仲良くしなきゃネ」 北京でやったから、上海でもやらなきゃという意地もあったんだと思います。
でも、中国の未来はどこにあるの?と聞きたいです。 受け入れてる資本主義の先にはないよって そして、共産主義の夢はどこにいったの?って
日本帝国主義に牙を向くなら、本来の共産主義の夢を貫きなさいよって 日本はもう超資本主義段階に入って、夢は終わってるのです。 その国に牙を向いたって、悲しいだけです。そういうことです。