誰も書かなかったマーケティングの話
ある程度の年数、マーケティングに直接かかわっている現場の人間は、一度は次のような思いになるのではないかと思う。
かなりの予算とかなりの時間をかけて、マーケティングを実施しても成果が出ない時がある。プロとしては5割以上の打率で成果を出さないといけないと思うが、打率はせいぜい2〜3割といったところ。もしある事業が成功するか失敗するかの確率は大ざっぱにいって50%であるならば、5割以上の打率を出せないマーケティングは必要ないのではないか。
実際、ヨーロッパ、特にドイツではそんな考えが正統にあったりする。
マーケティングは自信のない、弱気な人達のやることだ。社内でそのプロジェクトを推し進めていくための理由づけが欲しい、あるいは上司を説得するためにマーケティングを実施しているのであって、その製品が本当に売れるか、ヒットするかの確信は持っていないはずだ。売れる仮説づくりが仕事だと思っていること自体、滑稽だ。それよりも自分が充分に納得できる価値あるプロダクトづくりに専念する方がはるかに意味のあるビジネス活動をやっているといえる、というような…
ヨーロッパでは、アメリカ式の実証科学を嫌う歴史もあり、数値だけが走るマーケティングを嫌う傾向があるのかもしれない。主観やコンセプトを大切にするブランドマーケティングは自然にやっているのではないかと思う。
マーケティングの話をする時、話が噛み合わないことが多々ある。ある人は、上のようなリサーチを主体に語っているマーケティングを思い、ある人は、売れるストーリーや仕組みのことを主体に語っている場合があるからだ。
コトラーやドラッカーも大切だが、ここではあえて触れず、日本のマーケティングが一度死んだ話を書く。
ハーバード大のマーケティング論も優秀だが、日本でもパルコ出版が運営していた「月刊アクロス」は日本の流行や世代分析、世相洞察はずば抜けて優秀だった。1977〜1998年の間、かなりのきめ細かさと大胆さで時代を読み解き、多くのマーケッターに影響を与えていたが、1998年、最終号で「もう時代を、あるキーワード、ある枠組みで語れなくなってきたので廃刊します」とメッセージ。
私などは、企画書づくりに結構、アクロスから影響されていたので、途方にくれた。いや、もう、時代はバラバラになったのか、明日から、何を指標にもっていいのか不安になった。
今思うと、1998年のこのあたりが、インターネットやデジタル携帯の急拡大期。流行事象の広がり方もアナログからデジタルに移植されはじめていたのではないかと思う。アクロスが描けないと言っていたのはアナログ絵図の流行事象だったのかと思う。
マーケティングは「リサーチ」「仕組みづくり」の大きな要素があると思うが、インターネットが細密化、巨大化するとともに「リサーチ」は「インターネットリサーチ」に変わり、コスト面での罪悪感がなくなってきたため、ヒット打率が悪くても再び積極利用されはじめた。一方の「仕組みづくり」もネット絡みが定着し、こちらもあまり罪悪感なしに「ハイブリッドな仕組みづくり」が積極考案されるようになった。
ここで何が起きたかというと、Webそのものがマーケティングになったということだ。
DIME 2010.07.06号で秋元康氏が面白いことを言っている。
「マーケティングではヒットは生まれない、思い込みで創ることが大切…」
「これからのヒットするコンテンツは、いわばウィンドウズ型ではなく、オープンソースのリナックス型に移行するはず…」
「AKB48のブレイクはネットなくしてありえなかった、ネットの双方向性が…」
「私がプロデュース、から、ファンがプロデュースする仕組みを作ったことが成功の鍵だった」
秋元康氏はマーケティングではヒットは生まれないとしながらも、「インターネットリサーチ」「ハイブリッドな仕組みづくり」と現在のマーケティングを大いに活用している。
私自身、リサーチ、仕組みづくりに関わっていない時でも、Webを見ているだけでも、これはマーケティング行為ではないかと思ってしまう。
そして実際、そうなのだと思う。
Webそのものがマーケティング。
思い込みコンセプトとWebマーケティングの時代
マーケティングでもう打率うんぬん言っている時代ではないのだろう。罪悪感を語っている時代でもさらさらない。
しかし、経験値でマーケティングの諸問題をポジティブに活用している秋元康氏はお手本になるなと…