記号の森のAKB48
2010.6.4、民主党代表選挙で菅直人が勝利した日、ツイッターの裏側は大荒れに荒れていた。この選挙結果のこともあってテレビ東京の「NEWS FINE」は延長され、その影響で「週刊AKB」が放送されなくなったからだ。ハッシュタグ #AKB #AKB48のラインは、この番組変動にうらみつらみを浴びせて暴走していた。
このハッシュタグのツイートを見ていた時、AKB48というのはなんとネットにフィットする名前なんだろうと感心していた。ハッシュタグで何の省略もせずに、#AKB、#AKB48が成立してしまうのだ。また、AKB48の公式サイトドメインが、AKB48.co.jpなのにも感心した。えっ、.comじゃなく.co.jpなの、すごい真面目な組織なんだなと…思い浮かべたのは山田養蜂場のドメイン 3838.comとかやずやの昔の数字ドメイン。まっ、そんなに重要なことではないが、そんなこともあって、AKB48は記号論的な視点でも語っておくべきかなと…
セブンイレブンに無料で置いてある「7ぴあ」6.7-7.31版がAKB48特集を組んでいた。そこでの大島優子の語り「アイドルっていう枠を越えて、AKB48っていうカテゴリーができればいいなと思っています」また、日経エンタテインメント2010.7で篠田麻里子が「たまにAKBの仕事が入ると何か落ち着くというか…」など、メンバー自身がAKBという枠、存在を客観視しているのに驚いた。本人たちも自分とAKBをセパレートしているところがあり、AKBというのは何かを象徴している記号のようにも聞こえてくる。
それは限りなく“イマ”の存在で、今までの言葉で言い表せない何かを意味している?
AKB48を仕立てた秋元康氏がDIME 13でAKBについての本音どころを述べていることは前回も書いたが、面白いのは、秋元康がプロデュース権を意識的にファンに譲ったところから、AKB48の人気が急上昇している点だ。企画屋、秋元康は次から次とアイデアを出すが、何かやるたびに2chやブログで大ブーイングがおこる。初期は選抜メンバーを秋元康自身が選んでいたが、ブーイングの数がだんだん増えてくる。困った秋元康はそれならばとファンが選ぶ総選挙を思いつき、現在の総選挙形式ができたというのだ。もっと面白い話がある。現在12位以内のメディア選抜に必ずいる篠田麻里子は、秋元康によってオーディションで落とされている。オーディション時に秋元康作詞の歌(悪女)を歌い、媚びてると評された。篠田麻里子は仕方なくAKB劇場に併設された売店で働くうち、ファンたちが彼女がAKBメンバーでないのはおかしいと、プッシュされAKBメンバーになるというような…ファンにプロデュース権を移した秋元康もえらいなと思うが、要は、AKB48というのは今の若い層の総和から生まれた輝く記号なのだ。
そしてこの記号は、いろんなことを意味しながら、意味されていく…
AKB48が今の若い層の総和の新しい記号とするなら、そこでずっとセンターをとり、今回の総選挙では2位になった前田敦子(あっちゃん)は何を意味し、何を意味されていくのか?
前田敦子の3冊連続写真集を手に入れてみた(笑)
よく聞く声が「前田敦子って、そんなに可愛いと思わないけど、なんであんなに人気があるんだ?」正直、私もそれが不思議で仕方なかった。
ハワイver 東京ver ニューヨークverそれぞれをつらつら見ていると、あることに気がついた。前田敦子は、東京にいるより、ハワイやニューヨークにいる時の方が地場の人のように見えるのだ。現地にいる日系人のような不思議な存在感がある。ダウンタウンの黒人と一緒にいる時の写真は、まったく違和感がないほど、現地の日系人に見える。また東京にいる時は逆に日本に留学にきている東南アジアの娘のように見えてしまうのだ。そういうエキゾチックな魅力が前田敦子にはあるのだと思う。純和風でもなく洋風でもなくアジアングローバルな魅力がある。存在そのものがなんだか懐かしい感じ…そしてそんな感じのするアイドルは今まであまりいなかったように思う。
この不思議な存在感をファンが1位、2位で支持している意味は何なのか?
日本人が忘れてきたアジアの純粋性、純心性、のようなもの。東京で撮影されている時、そういう意味と空虚が明確に浮き彫りにされてくる。前田敦子の表情の中には、日本的なもの、タイ的なもの、フィリピン的なもの、ベトナム的なもの、インドネシア的なもの、いろんなアジアが薄くにじんでいるように見えるのだ。
一言で言うと、懐かしい顔。
NHK大河ドラマ「龍馬伝」に出ている前田敦子がおしんのように見えてしまうのだが、それもなんだか懐かしい顔の一つだ。
前田敦子を筆頭にAKBは、“イマ”を強く意味しているとともに、“イマ”でもない未知なるものも表徴していて、アイドルグループとしては、作り物ではない、物語を内包していて、ロランバルトなどが昔語った、(零度の)エクリチュールの域まできているのかもしれない。
それは、どうしておこったのか?
それはやはり、誰かが恣意的に作った意味性を越えて、大きな心情の総和で形成されているからだ。もし、秋元康氏がプロデュース権をファンにゆだねなかったら、こういう幅広い意味性を持ちつつ空虚も備えているといった平たい集団にはならなかっただろうと思う。
AKB48では、神話化を上昇させない装置がちりばめられている。握手会、総選挙、SKEの存在…不変のエースと言われた前田敦子でさえ、2位というところにまで引き戻されてしまう。
AKB48という記号は、これからもいろんなことを意味しつつ、無意味とも握手して、現在社会の象徴になっていくのだろうと思う。
そして、インターネットの良点を最大限にいかしてできた初めてのアイドルなのだと思う。
今回の総選挙で1位になった大島優子の言うように「アイドルっていう枠を越えて、AKB48っていうカテゴリーができればいいなと思っています」
もはや、このカテゴリーはできかけているように思う。
かつてのアイドルが“カテゴリー”などという言葉を使っただろうか。現エースもただものではない気がしてきた。
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