2010年07月05日

世界の中心は秋葉原という物語は1995年から始まった。

秋葉原でパソコン関連の売り上げが家電を上回ったのが1995年〜1996年頃。それは今思えばリアルな生活からバーチャルな夢への傾斜を意味していた。

1995年1月、阪神大震災で親類を亡くし、神戸の悲惨な風景を目の当たりにして、バーチャルショップの構想を強く決意したのは、楽天の三木谷浩史氏だった。

1995年3月、地下鉄サリン事件がおき、その無差別な抗しがたい非常な事態にノンフィクションな取材を徹底的に続け、後々フィクションに昇華させる作家がいた。1Q84の村上春樹氏だった。

1995年10月、アニメオタクを完璧にマーケティングした異質なアニメ番組がテレビ東京で始まる。新世紀エヴァンゲリオンだった。そして、この「新世紀」という言葉はまったく的を得ていることになる。

1995年11月、インターネットを大普及させるOSが発売された。 Windows95日本語版だった。

1995年12月、1969年から始まった、日本の人情を延々と描いていた「男はつらいよ」シリーズの最終作「寅次郎 紅の花」が公開され、寅さんはこれで銀幕から消えることになる。

そして、アメリカの社会学者などはAC(After Christ)・BC(Before Christ)の区切りをAI(After Internet)・BI(Before Internet)の区切りへと変えることを提言している。今や西暦・和暦に意味はなく、ネット暦で考えた方が時代をつかみやすいというものだ。日本でのネット暦元年はおそらく1995年。今はネット暦16年ということになる。世の中がもっと大きく変わるのは、ネット暦元年生まれの世代が活躍しはじめる 2014年頃だと夢見るのも面白い。(現にAKB48やSKE48のメンバーには、ネット暦元年の娘たちがいる。今のAKB過熱現象はまだまだ序章にすぎないと見るのは狭い考え方だろうか? んなことはどうでもいいかもしれないが…)

まずはネット暦・紀元前の話から

一般にまだインターネットがなく、坂本龍一がSONYのPRODUCEというワープロ機器でパソコン通信をやっていた時代。彼は自分のプロモーションビデオの舞台に秋葉原を選んでいたことがある。1980年代後半のこと。

テクノの街としての象徴として、外人がとても日本的と喜ぶ街の象徴として、彼は秋葉原を選び、そこでオモチャの鉄砲をカタカタと鳴らして、彼が今まで影響を受けてきたものを語っていた。吉本隆明ファンであることを吐露していたのが印象的で、腕にはミッキーマウスの時計が笑いながら時を刻んでいた。

その時の秋葉原は、電子楽器、オーディオ、カメラ、ファミコン、コンピュータは人気だが、アキバ系・オタクというような言葉はもちろんまだない。リアルな ウォッチャーとして自分の体験を書くが、私がロボット対戦ゲーム「ブリーダー」のストーリーと雑誌広告のライティングをまかされたのが1987年。一応自分が関わったソフトが店頭に並ぶので売場を見回ったが、当時の東京・秋葉原や大阪・日本橋には同人誌的な世界はあったものの“萌え”なるものへの傾斜はま だなかったように記憶する。「ブリーダー」も女っ気はまったくなく、純粋なロボット対戦ゲームだった。キャッチコピーは「君はメタルソルジャーを倒すことができるか!!」だった。1988年にはエヴァンゲリオンのルーツといわれるガイナックスの「トップをねらえ」がでてくるが、それですら“萌え”ではなく “ブルマ”的な高まりだったように思う(爆)この1987〜1988年あたりはおニャンコクラブの解散の年でバブル黎明期。私は今は無き朝日ジャーナルで「おニャンコクラブのファイナルコンサートはファシズムではない」趣旨の文章を書いており、何故かその文章の一部が吉本隆明の講演集本で高橋源一郎氏と並 んで抜粋掲載されている。昔は朝日さんにお世話になってもいたんだなと思うと感慨深い(爆)昔の朝日さんね(笑)

秋葉原が美少女系やアニメ系に大いに傾斜していくのが、美少女戦士セーラームーンが出てくる1990年代前半以降で、現在のアキバのイメージの原形がはっきりしてくるのが1995年頃だと思う。アキバ・ファッショ ン、アキバ・オタクという言葉ができてきたのもこれ以降だと思う。AKBの話ばかりで申し訳ないが、AKBのプライベートビデオシリーズを見ると、主要メンバーの幼少期はほとんどがセーラームーンのなりきり衣装をまとっていることが多い。また、セーラームーンの月野うさぎの声三石琴乃さんでエヴァンゲリオンのミサトさんに引き継がれているのもなんだか興味深い。紀元前の話としては、美少女戦士ものを確立させた、セーラームーンは想像以上にその後に大きな影響を与えており、プリキュアブームを見ても、美少女戦士というジャンルは女子を含め男子の心を深く抉ったようだ。そして、アキバ・オタクには、萌えなる美少女は重要キーとなっていく。ここで結論めいたことを書くのはまだ早いが、新しい論として、美少女戦士セーラームーンのリアル 体現版がAKBということができる。アキバ・オタクとAKBの重要接点は、セーラームーン、AKBも幼少の頃からセーラームーンで育ち、AKBに入る前からアキバ的要素を無意識に入れ、アキバ・オタクはその流れの美少女系をずっと萌え愛し続け、運命のように出会ったというウソのような本当の話……は処置に困る(笑)

AKB48の中では有名ではないが「Choose me!」という曲

夢に描いていた美少女の体現版から、メッセージを発せられる と、もうグッとくるのは当然で、一般の人から見れば、アホじゃねぇかという感想になるが(笑)1995年以降の聖地では、これらの歌は神聖なる儀式なのかもしれない。

そして、新世紀の話

1995年にテレビで放映された新世紀エヴァンゲリオンが、2010年の今になっても、新劇場版「破」のBiue-rayが記録的な大ヒットとなったり、パチンコ・パチスロ業界を救う目玉となったり、ユニクロでEVA-Tシャツが発売されたり、今までのエヴァンゲリオン関連売り上げは2,000億円近いと言われる。フツー15年も前のアニメがこんなに色あせることなく支持されることはなく、秋葉原の痛車、痛チャリでも初音ミクとともに、綾波レイ(このレイもセーラームーンの火野レイからきていることを監督の庵野秀明が語っている)のキャラが多いのはどういうことか?

答えは明快である。すべては1995年以降の新世紀モードで展開されており、新世紀の時代ニーズに合致しているから…

宮崎駿氏や富野由悠季氏などは、エヴァを受け入れた大勢が悪いとかなり倫理的な立場でエヴァンゲリオンを批判しているが、彼らは、今が新世紀であることをあまり感じていないいい暮らしをしている人達である。

新世紀とは、阪神大震災、地下鉄サリン事件、 9.11事件、家庭崩壊、職場崩壊、経済崩壊(アジア通貨危機・リーマンショック)、うつ病蔓延がおこっている世紀であり、エヴァンゲリオンは新世紀の絶望モードにいる人達に多くの共感を得ているという視点が必要かと思う。

どんな立場であっても、紀元前と比べて、人々はイライラし、覚醒モー ド、暴走モード、に入りやすくなっている。いじめ、虐待、自殺、覚醒剤、連続殺人の連鎖、1995年以降、南アフリカほどではないが、日本もなんだか恐い国になっているのだ。

新世紀エヴァンゲリオンは紀元前のアニメと比べていろんな面で違う。使徒というわけのわからないエイリアンが攻めてきたら、とにかく殲滅しなければならない。戦うことは相手を殺すこと、それに躊躇することなく、迷うことなく、やっつけなくて はならない、そうでなければ自分がやられるから、ということをあっさり自然にやり遂げてしまう。シンジは葛藤しているにしても…「破」で初めて登場する新キャラのマリなどは全てが新世紀的だ。

その現実版として、対象が使徒ではなく人に向かった事件が起きている。秋葉原連続殺人事件。初めは車で暴走し、犯人が使ったダガーナイフはエヴァンゲリオンが全機、標準装備で身につけているナイフであることを知っている人は少ない。

秋葉原連続殺人事件は、傷つける相手は誰でも良かったというような、通り魔、無差別殺人事件のように見えるが、昔の通り魔と何かが違うような気がする。誰でも良かったのかもしれないが、どこでも良かったわけでなく、強く秋葉原という場所を選択している。殺人予告のメッセージも「秋葉原で人を殺します」なのだ。そして事件後の供述で「生活に疲れた。世の中が嫌になった。人を殺すために秋葉原に来た。誰でもよかった」と…秋葉原という場所だけには強く執着している。

しかしなぜ、秋葉原なのか?

神田じゃダメなんですか?と蓮舫風に訊いてみたいところだが…(笑えないなこれは…)

秋葉原連続殺人事件の犯人にとっては、新宿でもなく、渋谷でもなく、池袋でもなく、六本木でもなく、赤坂でもなく、秋葉原でなくてはならない感覚が真に強く あるような気がする。

それは彼にとっていちばん居心地が良かった街であり、ホームであり、マザーな街であったことが予想される。マザーな街でマザーファッカーなことをやりたい気分。マザーな街で暴走したい気分。

マザーな街で生まれる前の自分に戻り、自己実現をはかる…

完全に屈折しているが、そういう気分ではないのか…

また、秋葉原ではないが、秋葉原を強く意識した連続殺人事件が広島のマツダ工場で起きた。 このマツダ事件の犯人の言葉で非常に気になった言葉が「秋葉原のようなことを自分もやりたかった…」この言葉をニュースで初めて聞いた時、おかしな人はおかしいことを言うな程度に思っていたが、この言葉を反芻していると、なんだか秋葉原の事件をあこがれのように思っている犯人の気持ちが見えてくる。工場への車の突っ込み方、ナイフも持っていて、本当は振り回したかった、秋葉原を超えたかったなどと、後で供述していることから、マツダ事件の犯人は秋葉原の事件をマジで再現したかったのかと…

これも完全に屈折しているが…

この心情はいったい何なんだ。悲惨な事件という気持ちを持たず、自分もそういうことをしたいと…

この二つの連続殺人事件を意識しつつ、エヴァンゲリオンのTVのサブタイトルと変にリンクしたものがある。最終話の「世界の中心でアイを叫んだけもの」だ。「世界の中心で愛を叫ぶ」が有名になってしまったので、セカチューの前身にエヴァやSF作家のハーラン・エリスンの「世界の中心で愛を叫んだけもの The Beast that shouted love at the heart of the world」の存在は影になってしまったが、SF小説の「世界の中心で愛を叫んだけもの」では、秋葉原やマツダの連続殺人事件よりも、あっさり連続殺人を連続で次々おこなう主人公が描かれている。そしてそれは彼の意志ではなく、世界の究極の中心・クロスホエン(交叉時点)の超越した暴力エネルギーの仕業とされている。

この主人公は死刑の前、こう叫ぶ

「おれは世界中のみんなを愛している。ほんとうだ。神様に誓ってもいい。おれはみんなを愛している。おまえたちみんなを!」

おそらく、秋葉原連続殺人、マツダ連続殺人の犯人たちも、こういう心情に近く、誰にも愛されなくなった途端に、けものになったが、実は愛を叫んでいる行為なのかもしれない。

秋葉原がクロスホエンかどうかはいろんな解釈ができるが、少なくともあらゆるテクノロジー、あらゆる創造力の交叉点であることは確かで、もしアニメーションが現実というありえない設定をした場合、秋葉原は、クロスホエンの一つであるという非常識な見方ができてしまう。

ここで、おおーと自分は叫んでしまった。

AKB48の歌詞で、尋常じゃないくらい連発される「愛」という言葉。そしてそれを秋葉原で歌う意味。そしてそれらが厚く支持される意味、クロスホエンが暴走しないように「愛」を 注入している装置、そういうことになっているのかもなと……そしてそれが今、日本中に注入されていることになっている。

「愛」は「バーチャルな愛」であっても「愛」の機能を立派に果たせば「愛」なのだ。


まとまりのない論となってしまったが、これはこれで一旦あげます。

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1. Posted by ルート134   2010年07月05日 13:56
>ダガーナイフ はエヴァンゲリオンが全機、標準装備で身につけているナイフであることを知っている人は少ない。
弐号機のプログナイフは「折る歯」型カッターナイフでした。
同時期頃に学級・家庭崩壊アニメ「こどものおもちゃ」もテレ東で放映されていたことも印象に残っています。
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30数年広告畑で畑を耕しています(笑)コピーライターでありながら、複雑系マーケティングの視野からWebプランニング、戦略シナリオを創発。2008年2月より某Web会社の代表取締役社長に就任。snafkin7としてのTwitterはこちらからどうぞ。Facebookはこちらから。
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