2010年07月09日

「セカイ系」「ゼロ年代」にさようなら、また会う日はない

前回、1995年の時代の区切りAI(After Internet)・BI(Before Internet)と、それ以降の情況を目撃者として書いたが、検証がてらいろいろ調べていると、意外な批評ノイズがあることに気がついた。

一つは新人類世代のこの辺りの歴史解釈と、もう一つはロストジェネレーション世代の「セカイ系」「ゼロ年代」「決断主義」という非常に強引な言葉使いによる歴史解釈だ。

初めはかなり苛立ちのようなものを感じたが、良識ある前島賢氏の著作「セカイ系とは何か - ポスト・エヴァのオタク史」ソフトバンク新書 2010.2刊 でこの辺りの事情が上手く整理されていたので少し安心した。なので、ここでは上記の批評ノイズに欠けていることを冷静に書いていくことにする

1995年という区切りはいいが、2001年で区切る意味がない。

阪神大震災、地下鉄サリン事などが生きる気分を変えてしまったことは確かだが、前回も書いたように、それと引き替えにイン ターネットというコミュケーションツールを手に入れ、1995年で区切る大きな意義はインターネットが一般に普及したというそのことでなのだ。多くが引きこもったのかもしれないが、コミュニケーションはネットによって余計に活発になったとみるのがフツーだ。

だいたい「引きこもる」ことを悪と捉えている視点が痛い。ロストジェネレーション的に前向きに捉えたいという意志はわからなくもないが、一例を出せば、吹っ飛ぶようなやわい理論で批評するのは痛すぎる。9.11事件で、まさに引きこもった世界的なミュージシャンMOBYの存在、また、アメリカでの日本アニメ、オタク文化へのノメリコミは9.11事件がきっかけとなっている。

ますます「引きこもっている」のだ。そしてそれは悪いことではない。あの事件で「戦わなければ生き残れない」などというサヴァイブ感など広まってはいない。何故こんなにショートなスパンで時代を区切ろうとするのか?宇野常寛氏の「ゼロ年代の想像力」は2008年7月に出版されているが、2008年9月にはリーマンショックがおこり、この本が示している楽天的な意志はまったく説得力がないものとなっている。

エヴァの切り捨て方の単純さ

新世紀エヴァンゲリオンを「セカイ系」の典型としてその内容について批判するのは馬鹿げている。エヴァは緻密にマーケティングされたアニメであり、誰かの無意識から表出されたような作品ではない。新劇場版「破」では、どのキャラも「セカイ系」では収まっておらず、コミュニケーションを図ろうとしている。映画館で多くの人が泣いていたが、その涙の意味はそこなのだ。アスカとレイが慣れない料理を練習しようとしている姿。シンジが壁を破って命がけでレイを助けようとするなど…いくら勝手な理論でエヴァを切り捨てようとも、エヴァ映画の興行収入は凄く、BD・DVD・関連グッズは恐ろしく売れる。その支持されている事実を見ても、エヴァへの捉え方が狂っているのは確かで、それが売れることの方がおかしいと考えているなら、本当に痛い人となってしまう。

ゼロ年代を過大評価、注目することの無意味さ

アニメやマンガ、物語もカルチャー作品と捉えるならば、傾向を語るのはいいが、現在進行形のものが将来の世界観に近いと判断することも非常に痛い。過去にこだわることも重要だ。もっと過去にこだわることも必要だ。うんと古典に戻ることも意味はある。極端に言えば2000年から2009年の作品には重要な意味はなかったという言い方もできる。材料がないからといって、目の前や少し前のものから、都合のいいものだけピックして体系的に見せても誰も納得しないだろう。

1999年〜2001年のパラパラブームは何だったのか

この時、パラパラオールスターズの応援組織をケータイでつくり、全国を飛び回っていたが、ここには「セカイ系」とか「ゼロ年代」とか不毛な言葉を越える、若年層のつながろうとする意志を強く感じた。多くの若者が引きこもっていたわけではない。avexが主体とはなっていたが、2000年夏のピーク時には、ギャル、ギャル男たちの意欲は凄まじかった。このタイムラインを見ただけでも、「セカイ系」「サヴァイブ」という用語がいかに世の中を見ていなかったかがわかる。ここで起こっていたのは、ケータイ電話にメール、サイト機能が付加され、プチネットの大きな可能性が示されたことだ。要はインターネットのさらなる広まりであり、2001年以降もケータイ文化はさらに成熟度を増していく。一つや二つや三つの象徴的な作品が、世の中の気分をつくっていく時代ではないのだ。あまりにも視点が狭いのも痛くて仕方がない。

“萌え”なる定義の曖昧さ

前島賢氏の「セカイ系とは何か - ポスト・エヴァのオタク史」ですら、“萌え”のルーツをエヴァンゲリオンに持ってきているが、これは明らかに違う。エヴァを語る時に美少女戦士セーラームーンとの連続性と非連続性を語るべきだし、それと並行して他の作品や同人誌的なストリームをかぶせないと非常に薄っぺらな語りとなってしまう。

だいたい重要なことでもないのに、主観を多く入れ難しく語るなと。日本の批評のすべてを見ずして、憂鬱になる方が痛くてしようがない。そしてただ今現在において、無意味になっている批評など展開しても仕方ないでしょうにと思う。

「初音ミク」と「AKB48」の存在

初音ミクが世に出たのは、2007年の8月、AKB48がメジャーデビューしたのが2006年10月、オタク文化を語るのに、このインターネットと大きく連動した巨大2アイテムをはずしてどうするのだ。

本当の現在が語られていないのは本当に痛い。個人の作品ばかり取り上げて、ネット意志、大勢意志がつくりあげた見事な作品群を無視しているのはどういうことか。その視点こそ古い批評だ。

ロストジェネレーションは見落とすのもうまいと言われても仕方ないのではないか。

終わったことは足早に通り過ぎよう。

批評という滑走路に着地しても意味がない。生活という滑走路に着地しないと、誰も納得しないのは確かだから…。

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30数年広告畑で畑を耕しています(笑)コピーライターでありながら、複雑系マーケティングの視野からWebプランニング、戦略シナリオを創発。2008年2月より某Web会社の代表取締役社長に就任。snafkin7としてのTwitterはこちらからどうぞ。Facebookはこちらから。
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