つかこうへい「蒲田行進曲」の思い出
つかこうへいさんが亡くなった。TVで映画の「蒲田行進曲」の主題曲がよく流れているが、この曲を聴くと、気持ちがまるごと昔に戻ってしまい、なんだかあの映画には励まされたなぁという記憶が甦ってくる。
見ようと思って見た映画ではなかった。学生の頃から平凡出版(現・マガジンハウス)で「週刊平凡」の編集のアルバイトをしていて、そのまま就職という話もあったが、急に「フォーカス」とか「フライデー」のような写真週刊誌が登場してきて、「週刊平凡」の部数はどんどん減りついに廃刊ということになった。当時、活字の多い雑誌はもう流行らないとも言われていた。自分はまだ学生の身分だったからまだいいが、副編集長からアンカーライターは、やりきれない表情で、最終号の手伝いをしている時など、こちらもとてもつらかったを覚えている。そして市ヶ谷の最終校正室でもらう、まだ世の中に出ていない輪ゴムで留められた色校の週刊平凡を一冊もらっては、中央線で読む楽しみがなくなるなと思うとホント悲しかった。
最後のアルバイト料をもらいに銀座の事務所に行った時、副編集長が最後ということで、ウナギをごちそうしてくれた。学生では入れないようなウナギ屋で「いや、こんな、おいしいウナギ食べたの、初めてです」と言うと「おいしいものを食べた記憶は消えないからね、俺のことも忘れないでくれよな」と副編集長は笑っていた。
「悪かったね、就職とかどうするの?」とか訊かれたが、「はじめは出版社でと思ってましたが、なんだかこの情勢だと…しばらく考えてみます」と私。「アシスタント的なことでよければ、いろいろ紹介してあげるよ」「ありがとうございます」と答えながら、頭の中は何も決めていなかった。
店の前で副編集長と別れ、ちょっとしばらく歩きたい気分だったので、方向もわからず歩いていると、そんなに綺麗でもない映画館があり、「蒲田行進曲上映」の看板があった。映画でも見て、頭を冷やすかと思って、チケットを買った。平日の夕方だったので、女子高生が何人かいただけだった。
始まると、意外と面白く、ずっと笑って見ている自分がいた。学生だったが、主人公の銀ちゃんの自由気ままな生き方がとてもうらやましかった。気は持ちようだな……励まされるような映画ではないと思うが、見終わった後とても元気が出て、本屋でフロムエーを買って、次のアルバイト探そうという気持ちになったのを覚えている。
結局、そのフロムエーで神田にあった情報処理のコンピュータ会社をみつけ、DATAのフィルムを運ぶ以外はずっと本を読んでいられるアルバイトをみつけた。そのうち、そこで広告の本ばかり読むようになって、広告やるんだったら、東京にこだわってる必要もないかと大阪に帰って就職することにした。おそらく、そんなラフな考えをふと実行することになったのも「蒲田行進曲」の銀ちゃんの生き方のせいかもしれない(笑)思い詰めてはいけない、楽天さも必要さと、娯楽映画なのに、自分にとってはかなり影響を受けた映画だった。
つかこうへいさんが在日韓国の人であることを亡くなってから知った。「幕末純情伝」にしろ、「二代目はクリスチャン」にしても視点が斬新なのはそのせいか、日本人離れした豊かな感性の持ち主だなと思っていたが、なんだかすごく納得がいった。
つかこうへいさん。すごく心が弱っていた時に楽しい作品に出会い、励まされ、すごく感謝しています。ただただ、ありがとうございましたと、言いたいです。
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コメント一欄
めちゃくちゃだったけどいい時代でしたね。
私は貧乏学生でしたが、まわりに芝居好きの人が多く
黒テント、早稲田小劇、第三舞台に連れられて見てました。
ひょんなことで出会った横浜のOLさんなんかは
芝居の感想を聞きたくて、私と私の友達を
いろんな芝居に誘ってくれました。
私たちは、お金出してないので申し訳なくて
一生懸命見て、一生懸命語りました。
そのOLさんは、とても満足そうでした。
なんかあったかい時代でした。
出勤前のホステスさんが、私ら学生にビールおごってくれたり
「何でですか?」って訊くと
「社会人になって、私らみたいな女、騙さないね」とか冗談まじに言ってくれたり
サラリーマンさんが、「横で君らの話し聞いてたけど、いいこと言ってんじゃん」とか言ってウィスキーボトル入れてくれたり、
なんか、世の中っていいなと…ただおごってもらってただけなんですけど…(笑)
ジーパンのポケットにびあ入れて、毎日、今日、どこ行こうかなとか、映画館でぴあ見せたら割引もありましたね(笑)