2010年05月04日
「マイレージ、マイライフ」におけるITコミュニケーションの限界
2010.03.25 CNET JAPAN掲載
レイトショーとはいえ、かなり席が埋まっていた「マイレージ、マイライフ」。ジョージ・クルーニーが主演なので女性が多く、帰りの館内エレベータに飛び乗ったら、すべて女性でちょっとビビリました(笑)この映画、制作にとりかかりはじめてから世界は不況へと傾斜しはじめ、映画の世界にどんどん現実が擦り寄ってくるという不思議なタイミングでつくられています。リストラ宣告・交渉を職業とする主人公は年間322日も出張し、1,000万マイルを貯めることが人生の目標。その達成目前で優秀な新人女性が考えるIT交渉案のため、足を運んでの交渉は一旦中止となりますが、モニターを通してのリストラ交渉では感情をとらえるきめ細かな交渉はできないと、最終的には対面交渉に戻ってしまいます。
モニター交渉では当事者の悲しみを受け止めることはできず自殺者がでてしまう。
この映画を見ていて、あぁ、シンプルにいいことを炙り出しているなと思った。IT、情報通信、メール、インターネットが伝達するのは、指示表出といわれる、「何々は何々である」的な情報の一部で、「何々は何々であるけれども私はこう思う」のニュアンスの部分がなかなか伝達されにくい。ビジネスシーンでメールだけで往復しているとトラブル可能性が高いのはおそらくそのせいだと思う。今は誰もがそういう経験もし予感をしているので、気の利いた人ほどメール文がもの凄く丁寧だったりする。本来なら合理的に短くすませばいいものの、ネット歴10年以上の多くの人々はトラブらないようにと、お世話になっております。よろしくお願いします。と必ずつけ、メール文というより、手紙文にかなり近くなっているような気がします。
おそらく、このことはITがよりしなやかに緻密に進化しても変わらないのではないかと思う。インターネットにつながりを求め、インターネットに自分の感情を表出しても、うけとめてもらえず、その悲しみのあまり現実の世界で犯罪をしてしまうというパターンも今までよくあったような……
掲示板→SNS→Twitterの流れは、そういった情報伝達できる限界をどこかで意識しつつできた自然な流れなのかもしれない。Twitterは指示表出での伝達として割り切ったコミュニケーションのように思います。そしてそれはそれで軽快でさっぱりしていて気持ち良かったりもする。
ケータイ小説でも、文学的な自己表出よりもツールに制限された指示表出表現に偏っているので、昔の人は薄っぺらく感じるのかもしれない。ケータイ小説などはその軽みに深みをつけるため、繰り返し表現で補っていたりする。
「マイレージ、マイライフ 」の交渉人のコミュニケーションは、感情が軸だったりするから、やはりモニター交渉ではもたないんだろうなと思う。
しかし「マイレージ、マイライフ」の主人公は私生活ではその感情の軸でのコミュニケーションを嫌い、どこまでもクールでいようとしているから本当に現代的で現在的だ。
ビジネスシーンでのように適当に人間らしくしていればいいものを私生活では時々感情を不器用に出し傷つき、ビジネスシーン以上にクールに装ってしまう。
生活すべてがITに囲まれているといっても過言ではないから、この悲劇からは誰も逃れられないのかもしれない。
とにかく、みんななんだか悲しいんだという変な結論になってしまいましたが(笑)今、健全なコミュニケーションってどこにあるんだろうと、あらためて考えてしまいます。
コミュニケーションをより円滑に活発にするためのツールが必ずしもコミュニケーションを理想的にするわけではないというジレンマ。
まぁ、そういうことを考えさせられたという意味で、この映画はいい映画かなと思います。しかし、ジョージ・クルーニーは何やってもカッコいいですな。 で終わっておきます(笑)最近、私のマイルは全然たまんないんですけど(笑)
レイトショーとはいえ、かなり席が埋まっていた「マイレージ、マイライフ」。ジョージ・クルーニーが主演なので女性が多く、帰りの館内エレベータに飛び乗ったら、すべて女性でちょっとビビリました(笑)この映画、制作にとりかかりはじめてから世界は不況へと傾斜しはじめ、映画の世界にどんどん現実が擦り寄ってくるという不思議なタイミングでつくられています。リストラ宣告・交渉を職業とする主人公は年間322日も出張し、1,000万マイルを貯めることが人生の目標。その達成目前で優秀な新人女性が考えるIT交渉案のため、足を運んでの交渉は一旦中止となりますが、モニターを通してのリストラ交渉では感情をとらえるきめ細かな交渉はできないと、最終的には対面交渉に戻ってしまいます。
モニター交渉では当事者の悲しみを受け止めることはできず自殺者がでてしまう。
この映画を見ていて、あぁ、シンプルにいいことを炙り出しているなと思った。IT、情報通信、メール、インターネットが伝達するのは、指示表出といわれる、「何々は何々である」的な情報の一部で、「何々は何々であるけれども私はこう思う」のニュアンスの部分がなかなか伝達されにくい。ビジネスシーンでメールだけで往復しているとトラブル可能性が高いのはおそらくそのせいだと思う。今は誰もがそういう経験もし予感をしているので、気の利いた人ほどメール文がもの凄く丁寧だったりする。本来なら合理的に短くすませばいいものの、ネット歴10年以上の多くの人々はトラブらないようにと、お世話になっております。よろしくお願いします。と必ずつけ、メール文というより、手紙文にかなり近くなっているような気がします。
おそらく、このことはITがよりしなやかに緻密に進化しても変わらないのではないかと思う。インターネットにつながりを求め、インターネットに自分の感情を表出しても、うけとめてもらえず、その悲しみのあまり現実の世界で犯罪をしてしまうというパターンも今までよくあったような……
掲示板→SNS→Twitterの流れは、そういった情報伝達できる限界をどこかで意識しつつできた自然な流れなのかもしれない。Twitterは指示表出での伝達として割り切ったコミュニケーションのように思います。そしてそれはそれで軽快でさっぱりしていて気持ち良かったりもする。
ケータイ小説でも、文学的な自己表出よりもツールに制限された指示表出表現に偏っているので、昔の人は薄っぺらく感じるのかもしれない。ケータイ小説などはその軽みに深みをつけるため、繰り返し表現で補っていたりする。
「マイレージ、マイライフ 」の交渉人のコミュニケーションは、感情が軸だったりするから、やはりモニター交渉ではもたないんだろうなと思う。
しかし「マイレージ、マイライフ」の主人公は私生活ではその感情の軸でのコミュニケーションを嫌い、どこまでもクールでいようとしているから本当に現代的で現在的だ。
ビジネスシーンでのように適当に人間らしくしていればいいものを私生活では時々感情を不器用に出し傷つき、ビジネスシーン以上にクールに装ってしまう。
生活すべてがITに囲まれているといっても過言ではないから、この悲劇からは誰も逃れられないのかもしれない。
とにかく、みんななんだか悲しいんだという変な結論になってしまいましたが(笑)今、健全なコミュニケーションってどこにあるんだろうと、あらためて考えてしまいます。
コミュニケーションをより円滑に活発にするためのツールが必ずしもコミュニケーションを理想的にするわけではないというジレンマ。
まぁ、そういうことを考えさせられたという意味で、この映画はいい映画かなと思います。しかし、ジョージ・クルーニーは何やってもカッコいいですな。 で終わっておきます(笑)最近、私のマイルは全然たまんないんですけど(笑)




