2008年12月31日
ゲゲゲの鬼太郎から学ぶもの

それに比べて、今の世の流れというのは、構造は複雑化しているにもかかわらず、論理は短絡すぎるなぁと、コントラストとして感じました。
派遣切りは企業が悪い→派遣法が問題であり、救済実活動が必要なのにそれには触れないマスメディア。
金融危機はアメリカが悪い→自立のチャンスは幾度とありながら抑制し、アジアのリーダーにもなれず、未だに子分的な立場で甘いことをぐだくだ言っている日本人
ケータイ電話は学校に持ち込まない→ケータイ以上の教育とコミュニケーションが今の学校にあるかは問わない。
とにかく、概して、情緒と情緒をつなぐことしかできなくなっていて、その情緒の中に一緒にいたいという風潮といいましょうか…例外を許さないといいましょうか…
悲しいかな、知らぬ間に自分もそういう見方になんとなくなってしまっているなぁと感じるところもあります。
この間、子供に妖怪の話をすると、もの凄く食いつきがいいのに吃驚しました。「もっと話して…もっと話して」と。子供には、そういうむやむやうやうやした非合理なものも受け入れる心があって、今はそういう場所がぽっかり空いているのかもしれないなと…
水木しげるさんが「やっぱり妖怪なんていないんだ」と落ち込んでいた時に、次女が修学旅行で本物の妖怪(目目連)を目撃したことで、元気づけられたという話が面白かったですが、彼は世の矛盾という矛盾をすべて体験したような人生で、こんなに線で結べない人生もあるんだよなと驚くばかりです。
「墓場鬼太郎」ではあまりにも縁起が悪いのでTVアニメ化できないので、「ゲゲゲの鬼太郎」にタイトルを直したとのことですが、非常にインパクトの強いネーミングです。
しかも、水木しげるさんが小さい時、自分のことを、シゲルと発音できず、ゲゲと言っていたところから来てるあたりも行き当たりばったりで感動ものです。
但し、最近は妖怪より人間の方が怖くなっているような気がして、妖怪達が昔以上に可愛く見えるのは自分だけでしょうか……