2007年11月24日
『アポカリプト』とデトロイトテクノ
DVDが発売されたということで、見る前にコレを書いているわけですが(笑)映画『アポカリプト』については、歴史的な検証、その作品の完成度よりも、マヤやアステカを題材にした映画が、全米で公開され、しかも主人公の名前が『ジャガー』であることに大変興味があります。DVDは、明日アマゾンから到着するのですが…
しかし、監督のメル・ギブソンなんですが、なんでキリスト題材の『パッション』の次に『アポカリプト』を作っているのかよくわからないんですね。
超伝統主義カトリック教徒がこの題材に触れることは本当はありえないんですね。単なる処刑好きなのか。それかアメリカの市場背景における民族的な要請なのか。
デトロイトテクノ系を好きな人達は、DJ ROLANDOの名曲『ジャガー』を通じて、アステカのあたりの歴史をかなり詳細に知っているはずです。ヒスパニックや黒人DJ達は、アステカの歴史を通じて、現代アメリカの文化を音楽的に完全否定しており、それが世界のアンダーグラウンドミュージックシーンで受け入れられています。『ジャガー』はアステカのジャガーダンスをイメージングしたプリミティブサウンドで、世界で大ヒットした曲です。デトロイトテクノが音楽を通じて言わんとしていることは、俺らこそが原初アメリカのルーツなんだぜ!!なんですが、何故、反ユダヤ的な発言をし逮捕されたメル・ギブソンがこの題材に挑戦しているのか、つかみにくいんですね。
確かに『パッション』が描いているキリスト処刑と『アポカリプト』が描くアステカ(マヤ文明)の処刑は、歴史的にも重要なところですが、これを描いてしまうと、白い異邦人系の彼は、その存在が揺らぐことになりかねないんですが…それとも「アポカリプト」を描くことによって、白い異邦人系の文化の整然性をちょっとでもいいたかったのか…
アステカのピラミッドには、確かに生け贄の血が注がれ、心臓を香で焚いた煙が天に昇っていました(とされる)しかし、それは毎日、太陽に来てもらうためであり、暗黒の日を恐れたから(とされる)宮殿で行われたジャガーと鷲のダンスは、かなりそれなりの理屈があってされていたのだと(とされる)
アステカやマヤの独特の天体的な見方を思うと、地動説に揺らいだキリスト教基盤と重なり、メル・ギブソンがどの立ち位置にいるかがよくわかります。
彼はおそらく、科学的で進んでしまった文明を嫌っているのだと、簡単に言ってしまえばそういうことかなと。こう見れば、純潔運動家としての活動も理解できるし、超伝統主義カトリック教徒で自宅近くの丘にチャペルを造っているということも理解できるような気がします。進んで乱れてしまった現代文明に対するアンチとしての「パッション」であり「アポカリプト」なんですね。そう見ると、わかりやすい(笑)んですけどね。
「アポカリプト」の現代文明に対するアンチと
デトロイトテクノの現代文明に対するアンチ
白人もヒスパニックも黒人もアステカやマヤを題材にして、現代文明にアンチしているわけですが、メル・ギブソンの場合は、アメリカ生まれでありながらオーストラリアに移住せざるをえなかった辺りの生い立ちがなんか関係ありそうな感じがします。カナダ系白人のDJ リッチー・ホウティンがデトロイトテクノにのめりこんでいったのとなんとなく結びつくのですが…
自分的には、「アポカリプト」の映画音楽がデトロイトテクノで構成されていることが理想とするのですが、資料を見る限りそうではないらしいし、主人公を「ジャガー」としながらもそうならなかったのは、もし採用したら、現代文明アンチというよりも白人アンチという過激な方向にいってしまうのと、デトロイトテクノのアンダーグラウンドレジスタンス(UR)のDJ達は拒否しただろうと…そんな感じがいたします。
アステカやマヤ辺りは調べれば調べるほど面白いので、それを映像化した映画というのは大変興味深いです。
DVDを見る時は、考えるモードを外して、見てみたいと思います(笑)
しかし、監督のメル・ギブソンなんですが、なんでキリスト題材の『パッション』の次に『アポカリプト』を作っているのかよくわからないんですね。
超伝統主義カトリック教徒がこの題材に触れることは本当はありえないんですね。単なる処刑好きなのか。それかアメリカの市場背景における民族的な要請なのか。
デトロイトテクノ系を好きな人達は、DJ ROLANDOの名曲『ジャガー』を通じて、アステカのあたりの歴史をかなり詳細に知っているはずです。ヒスパニックや黒人DJ達は、アステカの歴史を通じて、現代アメリカの文化を音楽的に完全否定しており、それが世界のアンダーグラウンドミュージックシーンで受け入れられています。『ジャガー』はアステカのジャガーダンスをイメージングしたプリミティブサウンドで、世界で大ヒットした曲です。デトロイトテクノが音楽を通じて言わんとしていることは、俺らこそが原初アメリカのルーツなんだぜ!!なんですが、何故、反ユダヤ的な発言をし逮捕されたメル・ギブソンがこの題材に挑戦しているのか、つかみにくいんですね。
確かに『パッション』が描いているキリスト処刑と『アポカリプト』が描くアステカ(マヤ文明)の処刑は、歴史的にも重要なところですが、これを描いてしまうと、白い異邦人系の彼は、その存在が揺らぐことになりかねないんですが…それとも「アポカリプト」を描くことによって、白い異邦人系の文化の整然性をちょっとでもいいたかったのか…
アステカのピラミッドには、確かに生け贄の血が注がれ、心臓を香で焚いた煙が天に昇っていました(とされる)しかし、それは毎日、太陽に来てもらうためであり、暗黒の日を恐れたから(とされる)宮殿で行われたジャガーと鷲のダンスは、かなりそれなりの理屈があってされていたのだと(とされる)
アステカやマヤの独特の天体的な見方を思うと、地動説に揺らいだキリスト教基盤と重なり、メル・ギブソンがどの立ち位置にいるかがよくわかります。
彼はおそらく、科学的で進んでしまった文明を嫌っているのだと、簡単に言ってしまえばそういうことかなと。こう見れば、純潔運動家としての活動も理解できるし、超伝統主義カトリック教徒で自宅近くの丘にチャペルを造っているということも理解できるような気がします。進んで乱れてしまった現代文明に対するアンチとしての「パッション」であり「アポカリプト」なんですね。そう見ると、わかりやすい(笑)んですけどね。
「アポカリプト」の現代文明に対するアンチと
デトロイトテクノの現代文明に対するアンチ
白人もヒスパニックも黒人もアステカやマヤを題材にして、現代文明にアンチしているわけですが、メル・ギブソンの場合は、アメリカ生まれでありながらオーストラリアに移住せざるをえなかった辺りの生い立ちがなんか関係ありそうな感じがします。カナダ系白人のDJ リッチー・ホウティンがデトロイトテクノにのめりこんでいったのとなんとなく結びつくのですが…
自分的には、「アポカリプト」の映画音楽がデトロイトテクノで構成されていることが理想とするのですが、資料を見る限りそうではないらしいし、主人公を「ジャガー」としながらもそうならなかったのは、もし採用したら、現代文明アンチというよりも白人アンチという過激な方向にいってしまうのと、デトロイトテクノのアンダーグラウンドレジスタンス(UR)のDJ達は拒否しただろうと…そんな感じがいたします。
アステカやマヤ辺りは調べれば調べるほど面白いので、それを映像化した映画というのは大変興味深いです。
DVDを見る時は、考えるモードを外して、見てみたいと思います(笑)