2015年08月

2015年08月10日

ジュラシックワールドには新たな神話が埋められている

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前評判はあまり良くなかったにも関わらず、「ジュラシックワールド」が世界的に記録を塗り替えるほど大ヒットを続けている。自分も単なるノスタルジーを感じて見に行った1人だが、3Dメガネをかけた冒頭から、これは単なる続編ではないと身構えはじめた。

「ジュラシックパーク」シリーズが上映されてから、恐竜の研究もかなり進んでいる。以前なら、あれだけ図体のでかい生き物は進化論的に滅びるしかなかったというのが通説だったが、現在は、地球に大隕石が衝突して理不尽にも滅びてしまい、もしその事件がなかったら、恐竜の延長から人間のようなものが誕生していたかもしれないという説もあるくらいだ。「ジュラシックワールド」は裏にその視点も持ち、単なる不可解な巨大生物から人間とも何らかしら接点のあった交信可能な巨大生物として扱われている。

恐竜との交信。

それはまるで犬やネコなどある程度の交信が可能な動物に対して、家族の一員と認識してしまうように、恐竜に対しても愛情に近いものを芽生えさせてしまうと同時に恐竜に対してかつてなかった理解をしようという意志が生じてくる。

そして、人と恐竜、恐竜と恐竜、過去と現在、現在と未来の間に一気に交信が生じてしまうと、「ジュラシックパーク」の時代にはなかった多重な神話が地響きと叫び声とともに成立していく。

アメリカの映画評論家がこの映画を酷評していたが、彼らはこの新しいコードに気がついていない。

例えば、子供たちが「ジュラシックワールド」を訪れる理由も子供たちの両親が離婚しかけており、最後に楽しい思いをさせてあげようということからであり、この子供たちを助けるパークの男女スタッフも恋愛破綻を味わっており、まずあって当然の人と人との交信が欠落している時代であることを描いている。

神話研究で優れた論考を多く残したロランバルトが「神話は言葉である」と定義したが、垢のたっぷりついた言葉の多い現在では、人と人の間にはもはや神話は存在しない。上の例で言えば、結婚という神話も、家族という神話も、恋愛という神話も成立しにくい時代となっている。人とスマホとの神話は新たに築かれつつあるがスマホの向こうや裏側にはやはり人がいて、間接的になっているだけだ。

その上で、まったく垢のついていない現代に蘇った恐竜たちとの交信しようとする意志はあまりに新鮮で冒険的だ。

実は人と恐竜との交信は日常でも行われている。恐竜の流れで唯一生き残っているのは鳥類であるから、私達は朝から恐竜の目玉焼きを食べ、フライドミートを食べ、ペットとして交信している人もいるので、恐竜との関係を今まで完全に断ってきたわけではない。但し馬鹿でかい恐竜たちとは馴染みがないので遠い存在に感じていただけだ。

映画の中では、見世物としての恐竜、科学の実験としての恐竜、軍事利用としての恐竜、そういった人間の勝手な思惑のもと恐竜は扱われるが、その恐竜像を大暴れてしてぶち壊していく。恐竜の存在そのものが零度の意味性を保持しているだけにある意味痛快だ。

ゴジラやキングコング、ウルトラマンの怪獣と「ジュラシックワールド」の恐竜との違いはそこだ。前者には人間がらみの意味性がたっぷり入っているが、後者は彼らの意志で自由に生きていた生物であったことが全然違う。エブァンゲリオンの使徒は、意味性はないがこちらは意志がなさすぎて、それとも違う。

「ジュラシックワールド」から人と恐竜との新たな神話が誕生したように思う。少なくとも恐竜との接し方には変化が生じたように思う。こういう視線で歴史そのものをすべて見直していくことは、人と人の神話にとっても有意義なことも多いんだろうと思う。2018年には「ジュラシックワールド」の続編があるようだが、それまでにもやれることはいくつかあるように思う。

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snafkin7
30数年広告畑で畑を耕しています(笑)コピーライターでありながら、複雑系マーケティングの視野からWebプランニング、戦略シナリオを創発。2008年2月より某Web会社の代表取締役社長に就任。snafkin7としてのTwitterはこちらからどうぞ。Facebookはこちらから。
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