2012年03月

2012年03月19日

アイドルは、今、何故グループなのか? PART2

GROUPちょうど一年前にも同タイトルでブログを書いた。「アイドルは、今、何故グループなのか?」そして、なんか時間がたつうちに別の思いも出てきたので、同タイトルPART2として記録しておく。それはここ最近、断片としてつぶやいてきたかもしれないがここにまとめておきたい。

3/18の「乃木坂って、どこ?」のセカンドシングルのメンバー選抜の回を見てて、強く思ったのが、誰が選ばれるかも大事なのだが、誰が七福神に入って、誰がセンター(3枠)に入り、その後ろ4枠に誰が位置するかのカタチ(発信回路)が重視されていることだ。乃木坂でいうと、ファーストシングル時とセカンドシングル時はメンバーの入れ替えはあるが、ドセンターは生駒里奈で変わりはなく、ちょっとピュアでちょっと牧歌的な「ぐるぐるカーテン」のラインはグループのイメージとして継続、で前回は星野みなみ(14)と生田絵梨花(15)と年少を飛車角に据えていたのが、今回は桜井玲香(17)と中田花奈(17)を飛車角に据えた。飛車角は秋田出身の生駒里奈をサポートするように前回も今回も首都圏出身組が固めている。そして握手会などでも人気の高い七福神メンバーを後ろ4枠に置き、その後ろに残りの選抜メンバーという構成だ。

このように誰が選抜に選ばれたかも大事なように見えているが、誰と誰がどう配置されているか、その変化によって全体としてどうイメージを継続し変化しているように見えるかが配慮されており、まるでできあいのプチソーシャルネットワークを見ているようだ。例えばTwitterなどではそうは感じないが、Facebookあたりだと、主がいてその友達のネットワークも可視かされ、その主とコミュニケーションをとっていてもネットワーク全体とコミュニケーションをとっているような感覚がある。

乃木坂46、AKB48、SKE48、NMB48、HKT48あたりまでくると、デジャヴュ感とともに目眩がするくらいの個性の混乱がおきるが(笑)たとえ誰おしであっても、チーム何々の色も感じざるを得ず、なんかいろんな人、いろんなものに繋がってる感が濃厚にあるような気がする。

46、48グループというのは、ソーシャルネットワークツールを超えたソーシャルネットワークそのものではないかと最近感じる。それ以外の国内グループ、韓国グループも性質としては同じで、そのつながり感がないと、安心できないというようなところまで感覚がきてるのかなと思う。

ソーシャルネットワークの一番の特長はPV(ベージビュー)が指標になっていないことだ。フォロワー数、友達の数そのものを指標にする考え方もあるが、まぁ数ではなく、どのようなつながりでどのようにコミュニケーションされているかの関係性に注目するネットワークなのではないかと思う。

アイドルがある意味、時代を素直に象徴するものとすれば、アイドル自体がソーシャルネットワークのようなカタチになっているのは自然のことだろう。そして同時にアイドルの神話化作用はどんどん薄れていってひらたい存在になっていくのも自然のことだろう。

握手会とはFacebookでいうと、「いいね!」を押すようなもの。「いいね!」が押されれば押されるほど時代はひらたくなる。そう考えると、音楽よりも握手会が重視されるのは本末転倒ではなく、アイドルはいい音楽やパフォーマンスを演じながら、握手会をこなすこと。これはとてもいいことなのかもしれない(笑)

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2012年03月18日

吉本隆明さんのこと。

「いま、吉本隆明25時」という講演集本に私の文章が掲載されている。1987年くらいのことだ。

………そんな「共産主義」という言葉の使い方は、おニャン子クラブのファイナルコンサートの熱狂ぶりを「ファシズム」と呼ぶのと同じくらい無意味なことだ。「つまらない」という感情はしばしばあり、参加者全員そういう感情を抱いたかもしれない。けれど拍手の音だけはずっと大きかった。………それは多くの人は期待していなかったからではないか。つまらなくったっていい、とりあえず一つ始まる一つ終わる、その程度の拍手だったのではないか。その証拠に一番拍手が盛況だったのは、吉本隆明が、けっしてうまくない『大阪しぐれ』を歌った時だった。あの状況を「共産主義」という言葉でくくれるなら、くくってみたらいい。………吉本隆明はもうすでに冴えた存在でもなんでもなく、ましてや吉本信者でいることは意味のないことだ、と力説されていますが、その点を吉本隆明一人に還元するのはかわいそうなことだと思う。現在はまともに24時間生きていこうと思うには、あまりに難しい時代だ。冴えた分析や明晰な展望もなく現在をさまよっている吉本隆明は、私には孤独でもなんでもなく、むしろ楽しんでいるように思え、それを孤独と解釈する方が逆に孤独な存在のように見える。………


高橋源一郎、佐々木幹郎、芹沢俊介さんらと並んで、品川の寺田倉庫T-33号館で行われた24時間連続講演のことを書いているのだが、私の場合は「朝日ジャーナル」に先に掲載されていたものが転載された形となった。

当時は私も20代、まだ「吉本隆明」を卒業できなかった時で、吉本隆明擁護派にまわっていたのだが(笑)あらためて今読むと……

「つまらない」という感情はしばしばあり…

冴えた分析や明晰な展望もなく現在をさまよっている吉本隆明…


この時既にかなり冷めた見方をしていることがわかる。それを承知で掲載依頼してきたことは凄いなとも思うが、本当は、正直、このイベントにかなり期待して参加していた自分がいたことは確かだ。

この24時間連続講演には、凄いメンバーが身近にウロウロしていた。菅谷規矩雄さんは私の前で呑んだくれていたし、坂本龍一、糸井重里、島田雅彦、アラーキー、山田詠美さんとかも飛び入り参加、休憩時間にタバコを吸ってると、中上健次が火を貸してくれと寄ってきたりした。

もともと私と吉本隆明の文章との出会いは17歳の時、通信添削のZ会の問題に「詩的乾坤」の一文が出ていて、『なんだこの人、フツーの作家じゃないな』ということで、旭屋に著作物を探しに行ったことからはじまる。そこから勁草書房の全集を揃え、高校を卒業する頃には「戦後詩史論」あたりまでは読んでいた思う。大学に入ってからは東京ということもあって、講演会にはほぼ顔を出し、質疑応答でも何回か発言させてもらったことがある。高校、大学はほぼ染まっていたといっても過言ではない(笑)

大学を文系にしようと思ったのも「敗北の構造」を読んだからであり
就職時に急遽、広告系に変えたのも「相対幻論」を読んだからであり

私の人生の節目は結構、吉本隆明に左右された。社会や世界を読み解くにはかなりいい教科書だったことには間違いがない。

しかし、1986年、アイドルの岡田有希子が自殺した時に、新宿の紀伊国屋ホールで吉本隆明さんを中心に、それについて講演会があったり、銀座のホールで堤清二参加の広告のイベントがあったあたりから、何か満たされないものを感じ、そろそろ卒業しなきゃなと感じ始めたような気がする。1988年の日仏会館での「恋愛について」はとても面白い内容だったが、大阪から足を運ぶほどではなかったなと少し後悔していた記憶がある。

このあたりから何が変わったか、だが、自分だけのことでいうと、情報のとり方が変わったということがある。1980年代後半というとインターネットはまだないが、パソコン通信はあった。仕事でもパソコン通信普及の広告に携わっていたので、ニフティでいろんな部屋に顔を出していたような…それと、まさにバブル上昇期となって、品川の寺田倉庫の講演会が非常に地味に映るようになり、時代の派手な速度の方に眼がいくようになった。また、他の人にもれず、小沢一郎、麻原彰晃などを理屈づきで評価するようになって、かなり違和感を感じ、1996年、海水浴場で溺れた旨の連絡をもらった時は、自分の中で何かが終わったような気持ちになった。その後も著作物はすべて目を通していたが、やはり満たされない気持ちの方が強かった。

そしていよいよインターネット、ケータイ、の本格普及期になるのだが、ここからは吉本隆明をほとんど意識しなくなった。彼の語っている世界は、ここまで光を照らされていないという思いが強くなったからだろうと思う。原則論は原則論で素晴らしいが、ネットで変わっていく世界の方が面白かった。

それと私は吉本隆明の言葉で好きな〆の言葉があった。「敗北の構造」のあたりの講演会だったと思うが、「僕は世界が見えなくなったら、すぐに両手を挙げる、まだまだ大丈夫だ…」というような

だが、実際は親鸞の思想に影響されてか、最後まで発言を続け、迷走し続けた。

糸井重里さんとかが、ほぼ日で対談をし、NHKのTV出演までひっぱり出してきているのはあまりに悲しすぎた。構成もゆるく、時間切れで阿波おどりのように手を宙にむけたままの吉本隆明は正直、見たくなかった。それにスタンディングオベーションしている観客。気持ち悪かった。

山の降り方が難しい、着地の仕方がいちばん難しいと彼自身が言ってたことだが、彼ほどの人物でも本当に難しかったようだ。

とにかく多大な影響を受けたのも事実、考える訓練を教えてくれたのも事実、最後まで彼らしく情況に発言していくという約束を守ったのも事実。

複雑な気持ちがあるが、最後に残るのは感謝の気持ちだけ。心からご冥福を祈ります。

2012年03月04日

昔のソーシャルメディアはどこにあったか…

最近、人と会う度に昔話に花が咲くのだが、話しているうちに、なんだかネットのなかった時代を振り返っていることが多いのに気がついた。逆にネットのあった時代でも印象深いのは、ネットを通して、実際に人と会った時間であることが多い。最近では、「ブロガーズ・ネットワーク翼」の関西オフ会で、不思議なもので会ってしまった人のブログ記事は、良し悪しではなく、「あぁ、あの人、今こんなこと思ってんだ」みたいな感じで必ず読んでしまう。会ってない人のものは、よっぽど興味のある内容でないと読まないことになっている。

インターネットの時代に、会ったか、会ってないかが基準になっているのはとても窮屈な感じがするのだが、よくよく振り返ると情報だけでシャワーを浴びても、ただその情報を知るだけで何も残っていないことの方が多い。

インターネットのある時代の方が、人と会う機会は増えていそうなものが、実は違ったりする。週刊文春の萬流コピー塾に参加していた時は、頻繁に東京にいったり、大阪で塾生と会っていたし、何をしゃべっていたか思い出せないが、楽しくしゃべりこんでいたことを思い出す。また、仕事まわりでも、コピーの他流試合みたいなものがマンションの一室で行われ、よく参加したりしていた。

ネットもメールもない時代の方が、やたら集まっていた印象がある。裏を返せば、ネットもメールもない時代だから会うことがコミュニケーションなのかもしれないが(笑)

そうして、さらに学生時代まで遡ると、「ぴあ」の各ページの記事の上欄に情報交換ページあって、この場所で、売ります、買います、メンバー募集がなされていて、このコーナーで知り合った人の数も多かったことに気がつく。ここがきっかけで何年間付き合ってた、というパターンもある(笑)情報がリアルタイムに交わせないので、自然な流れで会ってしまってたような気がする(笑)

そうした場所は雑誌の情報欄だけでなく、例えば下北沢のNOISEという茶店バーの掲示板であるとか、そういったリアルな場所にもあったし、やたら世話好きなマスターやママが人を紹介してくれもした。まぁ、エリアは狭いが、楽しい交流はいっぱいあったような気がします。

近頃ふと思うのが、facebookやtwitterで日本中、世界中の人とつながるチャンスは転がっているんだけども、なんか希薄感があるんですよね。それはこっちが歳くっちゃてるだけかもしれないが…(笑)

ある人と話していて、「ぴあ」の記事上スペースの情報欄を思い出した、ということなんですが、それはそれでとても楽しかったなぁと…

ネットの時代にしかできないつながりがあるように、ネットのなかった時代にしかできないつながりもあったような…。今さらそんなこといっても仕方ないんだけどね。

ただ、ネットは自分の中の半分くらいにしておくのがやっぱりバランス的にはいいなと思うこの頃です。

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snafkin7
30数年広告畑で畑を耕しています(笑)コピーライターでありながら、複雑系マーケティングの視野からWebプランニング、戦略シナリオを創発。2008年2月より某Web会社の代表取締役社長に就任。snafkin7としてのTwitterはこちらからどうぞ。Facebookはこちらから。
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