2011年01月

2011年01月27日

ジャガー2001-1

何のために書いたのか、今は思い出せない(笑)2001年頃に書いて、何かに応募して途中選考で落っこちた小説です。たまたまファイルが出てきたので、5回に分けて入れておきます。たまには、こんなのもいいか(笑)たま〜にとんでる文字や記号がありますがご勘弁を。



 「ジャガー」

 いつからか、僕は海の近くで不定期に行われる秘密のパーティに顔を出すようになっていた。海といっても大阪・南港の外れだから、錆びた海だ。でもパーティは夜なので会場から黒い液体が不安定に揺れているのが見える程度だった。
 都会にありがちな埋め立て地のその場所は、意外にも緑の多い公園だった。正式なイベントの時には、入り口の細い通路にカウンターを設けて、チケットのチェックをしたりするのだけど、僕たちが出入りする時は、その通路は真っ暗だった。みんなミニライトをポケットに入れていて、公園の端にあるテントを目指す。もちろん無料だった。
 流れているのはミニマル系のテクノだ。クラブのように特に流行りがあるわけではない。DJも名のある人が回しているわけではない。約六時間の間にそれぞれお気に入りのループが流れれば誰も文句は言わない。ラップトップコンピュータに設定した音をそのまま流している時もよくある。音に強いこだわりがあるわけではない。ヨーロッパのクラバーがフロアで涙した曲も大型のレイブでアンセムとして流された曲もここでは、いい感じのダンスミュージックだった。醒めているわけではないが、それでここの参加メンバーが大きなエネルギーにすることはまずなかった。
 みんな世の中の動きに敏感でありながら、世の中からかなり離れた距離を持とうとする、ある意味不思議な集まりだった。ミーコは複雑系経済学を専攻する大学院生だし、タケシは、現象学の立場からカウンセリングをしている精神科医だし、マキは結構メジャーな広告コピーを作っているコピーライターだった。あと、本当かどうかわからないがギャンブルで食べているヨージやレイブの季節に服や小物を売って稼いでいるナーコがいた。僕はというと、食品会社の地味なマーケッターだった。他にも参加者は数十人いたが、僕にとってはこの数人が特に親しい仲間みたいなものだった。踊るのに疲れて休んでいる時に、ここに来る理由を何回か訊いたことがある。
「ここのこと、何で知ったの?」
「ネットの掲示板ん」
「お気に入りのサイトがあるわけだ」
「ゴア系のサイトなんだけど、いろんなイベント情報が載ってて、一風変わってたからね、ここの告知ぃ。『リアリティはないが、楽しいかも』って、なんのこっちゃわかんないけど、とりあえず来てみたら、それなりに楽しいしぃ」ミーコは呆れたように笑いながら話してくれた。
「あなたは?」
「有料の大きなイベントでこの公園に来た時、トイレに行く途中、このパーティの小さなフライヤーを茂みの中でみつけた」
「フライヤーなんてあるの、このパーティに」
「ほとんど手書きみたいなものだったけど、同じ事が書かれてたよ『リアリティはないが楽しいかも』って」
 正直、誰が主催しているパーティかよくわからなかった。というか興味がなかった。参加すれば、いつものメンバーがいるし、時々いいミュージックが流れるし、夜景がそれなりに綺麗な場所で星が美しい時は、本当にいい空間だった。大きな橋の下でもあり、自分たちと関係のないように音もなく走りすぎていく車を見るのもなんだか愉快だった。次回の開催日を人づてに聞きながら、何気に参加するだけだ。このパーティがなくなっても、そんなに困るわけでもない。ただ、人に知られていないパーティというだけで毎回ワクワクした。どんなに爆音を出しても回りに民家はないし、道路からも離れているし、もちろん向こう岸の工場地帯にも響くわけもない。吃驚するとしたら、不法入国者くらいだろう。不法入国者がこの公園の岸から上がってきたのを実際見たことはないが、それを示唆する看板はいくつかあった。
 ある時、いきなりナーコがこんなことを訊いてきた。
「これから、どうなると思う?」
「これからって、漠然としてるけど、経済のことならミーコが詳しいし、社会現象ならタケシが詳しいし、音楽のこと?」
「なんとなく感想を訊いてるだけヨ、ミーコにもタケシにも訊いたけど、みんな生返事だったからぁ。音楽のこと、あんたに訊いたって仕方ないでしょ、あーあ」ナーコは笑った。確かにナーコの方がダンス系、クラブ系音楽のことは詳しい。大きなレイブに参加してる数も違うし、DJの知り合いも多い。
「今より、うちの食品が売れるってことはないかもな」僕は少し悔しかったので、あえて惚けてみせた。
「マキにコピー書いてもらったら?マキの書いたのって結構ヒットしてるしぃ、みんなコンビニ製品だけどね」ナーコは再びニヤリとした。
「あーあ、トオルも夢ないんだなぁ」ナーコは本当に夢がなさそうに言った。
「夢は遠くにあるもんさ、だもん」
「上海かぁ」
「いいや」
「西海岸かぁ」
「いいや」
「デトロイトかぁ」
「あるわけないよ」
「じゃあ、どこだぁ」
「あるところに、ある」
「バカか、お前は」ナーコは一度うなだれながら、
「叫んでやろうか」
「何を」
「トオルはバカだって」
「叫べ、叫べ」
「叫ぶぅ、叫ぶぅ」僕はナーコの頭を一瞬、両手で万力のようにねじって、すぐに離した。ナーコもミーコもマキもどちらかというと、美人系だった。特にナーコは、踊ってる時が極端に野性美を放っていた。レイブを取り扱ってる雑誌にも何回も載っている。野外で踊っている彼女の写真は本当に絵になった。凄く自然で、トランス状態でもなく、疑問を投げかけているような視線は、どの雑誌でも異彩を放っていた。「あなたは何が楽しくて生きてるの」といえば大げさだが、もし彼女が森の主であったならば、そのままずっと森で踊らせておきたいような存在だった。
 おそらく、夢は無理矢理に見るものではない。寝ている時に無意識の力で映像化される夢と同じように自分の意志を強固にしても仕方ないと、いつからか思うようになった。それは古典的な喪失感や虚無感や絶望感などでは決してなく、不思議な到達感なのだ。新しいことはいっぱいあるが、夢を見れるような新しいことがあると思えないような気分だった。テクノのイベントで北京や上海を訪れたれた時、その思いは強くなっていた。ワンフーチン通りやホワイハイロー通りの希望あふれる若者の顔を見た時に愕然とした。人は、心底、希望に満ちている時、こんなに輝いた笑顔をするのかと。流行歌が街に流れ、手をつなぎながら、楽しくウィンドーショッピングするカップル。その力強い足取りは、東京や大阪では見れない光景だった。それはクラブに行ってもそうだった。僕たちのなじみの日本人DJが熱狂的に迎えられ、そのサウンドに痺れるくらい酔いしれているのは、現地の若者だった。日本でもかなりの陶酔状態でパーティは進行するが、そこに確かな未来を感じることはないだろう。北京や上海のクラブにいると、不思議な未来感覚が流れている。理由はよくわからない。しかし、彼らはサウンドのシャワーを浴びながら実感している。そう思うと僕は余計に、自分に流れている血がもの凄く鈍いもののように思えて腹立ちさえも覚える。僕はいつから未来を忘れたのだろう。かといって、タケシにカウンセリングしてもらうほど、病んでいるわけでもない。というか、タケシは僕みたいなタイプがいちばんやっかいだとも言った。
「お前、どっかで自己治癒させてるからなぁ、おかしな夢見たって、絶対に黒い太陽なんか見ないだろ」 
「乗り物の夢見たって、必ず運転手はいるからな、変な運転手であっても」
「だろ、箱庭つくらせたって、お前、絶対、これはこうだろって計算してつくるから、そんなの洞察するだけ、無駄だからな、どでかい箱庭でないと、本性を現さないというか」
「どでかい箱庭なら、熱中できるかもしれない」
「どでかい箱庭つくる気があるんなら、街でもつくれ」タケシは、本当にカウンセリングしてるのだろうかと思うほど、時々ぶっきらぼうになる。当然だとも思う。タケシはいつも、自分の仕事に疑問を持っていた。それを発散しに、このパーティに来るのだとも言っていた。
「俺のいちばん尊敬する精神科医のレイン、お前も読んだことあるだろ」
「彗星のように学会に現れて、社会が狂ってると言い残して、患者と結婚したレインだろ」
「もう今は死んじゃったし、彼の方法論は、彼のみって気もするし、あれクラスの精神科医は、もう出ないって気もするね、俺のやってることといえば、あまりに現実すぎるし」
「現象学派、現実に悩むか・爆・だな」タケシの気持ちはわからなくもなかった。僕の大好きなフランスのマーケッターも若くしてクリーニング屋の車に轢かれて死んでしまっていた。彼も変わったマーケッターで、死に遭遇するまでは、自分自身をマーケティングしていた。タケシも僕も、彼らの方法論というより、この国では希有な誠実さに惹かれていたのだと思う。ここに集まってくる人間は、どこかに諦めを持ったものが多いに違いなかった。確かめたわけではない。でもどこかで妙に気が合うのは、そういうことではないかと思っていた。
 パーティは金曜の夜11時からスタートし、朝の5時まで続き、長いときは、チルアウトをかねて、7時まで続くこともある。そしてみんなでファミレスに行くこともなく、各自、車やバイクに乗って、人の気配のしない大通りを何事もなかったように帰っていくのが通例だった。早く眠りにつきたい、ただそれだけの理由なのだが。 
 不思議なことに、仲のいい人は、恋愛関係になることはなかった。恋愛に似た感情はあるが、あくまでパーティでの出会いを大切にしていた。でも、それは僕が知らないだけかもしれない。が、もしそういう関係になっていったらとしたら、段々とこのパーティに参加することはなくなるはずだ。僕たちの目的はおそらくそんなことにない。漁師が釣るのに最高の潮を待つのと同じように、サウンドと身体や感覚とのベストなハマリを待ち望んでいた。これは僕の勝手な意見だが、呼吸、鼓動、血流のリズムを肌で感じながら創られたサウンドは、踊っている時に見事にハマル瞬間がある。そのリズムは進化論的に魚の頃の波のリズムの感覚だと言っていた学者がいたが、たぶんそれは正解なのだと思う。陸に上がった人間は、いまだにその波のリズムを忘れられないでいる。その魚時代の身体をくねらせる習慣、それを思い出すために、ダンスをしていると言えば、頭がおかしいと言われそうだが、なんとなくそんな気がしている。空気が必要になった僕たちは、延々と水の中で踊れない限り、音の水流を創りだし、その中で快適に泳いでいるのかもしれない。細胞の奥の奥がひもだとしたら、僕たちは、気持ちよく揺れていたいのだ。そんなシンプルな快感に酔っている僕たちがいるとしたら、浮き沈みの激しい恋愛をわざわざ好んでする必要もなかった。僕たちの感覚が魚まで退化しているとしたら、セックスそのものに大きな価値はなくなっている。欲求があったとしてもだ。
「お前、UR(Underground・Resistance)のことどう思う?」いちばん不真面目そうなヨージが、いちばん真面目な質問を投げかけてくる時がある。
「俺にとっては、黒人だけのレジスタンス運動みたいにしか実感わかないな、モジュレーションの映画見たけどなぁ、やっぱ黒人特有の未来感なんだと思う。」
「そうだよな、そうか」
「だって、タイム・スペース・トランスマットって、口ずさんで、なんか快感を感じるか?」
「ところが…」
「感じるのか」
「おかしいか」
「おかしかないけど…」
「アンダーグラウンドの音楽運動でレジスタンスっていうのは、おかしいよな」
「おかしいというか、もし感じるとしたら貴重な奴だよ、お前は」
「貴重か、そうか、貴重か」
「ああ、貴重だ、デトロイト・テクノの歴史は長いけど、日本でURを肌で感じてる奴なんて珍しいぜ、ファッションとしてはあってもな、たとえ、リキッドでURの精神をみんなでコールしたって、足を踏みならしたって、それはそれでイベントであって、そのまま街に出て、それ実践できないだろう」
「そりゃそうだけど、ジャガーなんて曲なんかだと、俺は映像が出てくるんだ」
「CDに入ってるプロモか」
「バカいえぇ」
「なんか闇をひた走るジャガーだよ」
「そうか」
「いいだろ」ジャガーは名曲だったが、ヨージのようにイメージを膨らませたことはなかった。そう言われれば、デトロイト系の曲は、時空を超えるスピード感でどこかに突き進む曲が多い。それは身近な現実からいち早く夢の時空へトランスするためのものかもしれない。そんなヨージにはギャンブルは相応しかったかもしれない。彼はただのギャンブラーではなかった。ギャンブル工学みたいな立場で、波をできるだけ調整しているような人物だった。確率論で割り切れないもどかしい部分をも冷静に見る才能があった。
「相変わらず、調子がいいんだって」
「ただ、ひどく疲れる」
「だろうな」
「いつかは、どこかに行くよ」これはヨージの口癖だった。誰もがどこかに行くもんだと思うが、彼のこの口癖は、なんとなく好感が持てた。彼はある地点で過去を踏み切る力がありそうだったからだ。このパーティも彼にとっては、ちょっとした休憩場所だったのかもしれない。振り返って、懐かしむタイプでもない。彼がいつかどこかに行けば、彼はその先しか見ないように思えた。
 特に変わった事件も新しいニュースもないまま、パーティは不定期であるが、ある間隔をあけて継続されていた。季節によって公園の芝の匂いや星座の種類が変化する程度だった。夏には上半身裸になるものもいれば、冬には焚き火スペースが設けられるだけで、回数を重ねるごとに、パーティの質が変化していくことはなかった。それが、この春から、明らかに人が増え始めた。そして新しい参加者はいちように無口だった。しかし、ハウスを通過してきたのかダンスは軽やかだった。サイケ組やトランス組のように型にはまっていることはなかった。音に合わせて自分のスタイルをつくりながら、時折壊しながら、イベントを自由に楽しんでいるようだった。
「不法入国者さんかな?」マキは冗談まじりに言った。
「踊りの旨い、不法入国者さん?」
「カナダ人のリッチー・ホーティンが週末になると、デトロイトに通ってたそんな感じかな?」
「また、大げさに言うわね」マキは呆れた気持ちを素直に表情に出していた。
「どこから見ても外人のようには見えないわよ」ミーコが言うと、ナーコもそうそうと頷いて見せた。
「でも明らかに増えたよな」タケシは不服そうに語り始めた。
「淡々と踊ってるしな。別に休憩するわけでもないし。不思議な奴らだよ」
「URの使者かもしれないな」ヨージは冗談か本気かわからない口調でつぶやいた。僕たちは、彼らが参加するようになって、6人で話すことが多くなった。普通なら彼らに話しかけて、いろいろ訊きだすところだが、彼らはいつもどこからともなくやってきて、踊りを続け、まだ暗いうちに帰っていき、コミュニケーションをとろうと思ってもとれない状況になっている。別に激しく騒ぐわけでもなく、逆に、パーティを盛り上げていくので、何の不満もないのだが、まったく会話がないので、ちょっと不気味な感じがした。唯一、コンタクトをとろうとしたのはナーコだった。彼女は彼らがステップを踏んでいる群れの中に入って、彼らをみつめながら踊り続けた。どんなに真面目な奴でもナーコが近くで踊ってると、気になって彼女を見るのだが、それでも彼らは自分の世界をつくっていて、ニコリともしなかった。発散しているわけでも、何かに怒りを感じているわけでもなく、サウンドにあわして綺麗に踊っていた。
「ある意味、いいダンサーだね、彼ら」ナーコは笑っていた。
「気にすることもないんじゃない。私たちだけかもよ、気にしてるの。パーティさえうまく進行していれば、別にいいんだし」ナーコの言うことはもっともだった。6人でそんなことを話せば話すほど、僕たちがこのパーティから遠い存在になっていきそうだった。
「ストレンジャー・笑・いいかも」マキはフレーズを創ろうとしてやめた。


ジャガー2001-2

「こんなに物事が見えない時代に、確かな踊り手がいっぱい見えるんだから、まっいいか」ミーコは気の利いたことを言おうとして軽く笑った。
「サンタフェにいた時、同じようなことがあったわよ。異国にいると、どんなパーティに参加したって、周りは知らない人ばかりでしょ。大勢いると一人一人観察なんてできないし、知らない人が見えたり、消えたり、で感覚が麻痺してきて、そのうちどうでもよくなってくるの」
「その時、ミーコは素だったの?」特に訊きたいわけでもなくヨージは口にした。
「もちろんよ、私にとっては、音楽が最高のドラッグだからぁ」このパーティでは、誰もがドラッグをやっていなかった。誰もがドラッグなんかに期待していなかった。まったく途方もない映像や音が感じられるなど、信じていなかった。音は曲がるだけ、自分の思ってる感情が極端に露出するだけのマジックに過大な期待などするはずもなかった。
「それか、超ひも理論のあれかもな」タケシが語った。
「見えない次元のモノが、爆音で揺さぶられて見えるとか」
「ほう、それってタケシの専門外じゃないの」ミーコはふっかけた。
「専門外の方が楽しいってこともある」
「同感だけど、タケシの現象学からはかけ離れた考え方でしょ」
「まぁな」
「ありのままを見つめなさい」
「何回も判断中止して、ありのままを見てるけどね」
「放棄かぁ」
「バカいえ」
「逃げかぁ」
「からむなぁ」
「からむわよ」
「複雑だからな、ミーコ」
「複雑系よ、コンプレックス・システム」
「ギャグにしてるよ」
「するわよ、いちばん実践的なのに、この国では、とんでもないくらい古い経済論で動いているもの」
「バカらしいか」
「大きなものを動かすつもりは私はないから別にいいけど、いくら予測が立てられないっていっても、行き当たりばったりと仮説修正とは違うもの」
「何にも実ってないものな、俺も患者と接していてよくわかるよ。カウンセリングしても、ひどい家族関係や人間関係がありのまま見えるだけ、俺に家族関係や人間関係自体を治癒できない限り、患者を治癒なんてできるわけがない。それでもカウンセリングを続けていかなければならない」
「私の場合は、単純な幻想との戦いね。戦いにもなってないけど。経済学なんて、経済を良くしようとするものでしょ。今の経済なんて制御できないんだから、経済学自体成り立たない気もするのね。高度成長期、バブル期の夢を見ている限り、なんにも良くならないよ。世の中、我慢するのが嫌いな人が多い限り、いつまでも果てしない高度成長期を追い求めてるだけよ。バブルが高度成長期の二コブ目の幻想としたら、ITバブルが三コブ目。さすがにラクダに四コブ目はないよう。」ミーコは冷たく笑った。彼女は停滞の中のカオスを見るのが好きだとも言っていた時がある。カオスほど美しい形はないとも言っていた。混乱の中の美学。そんなものを愛しているようにも思えた。毎日、主張がコロコロと変わる新聞よりは何か真実があるような気はしていたので、彼女の言うことは真面目に聞いていた。
「最終的に何を分析したいの?」僕はミーコに大雑把に訊いたことがある。
「マーケッターももう分析なんてできないでしょ。私がしていくのは、内部からの洞察だけよ。素直に見ていくことが、これからの経済学ね。方程式つくったってしょうがないもの。大きな破綻が待ってるだけだもの。枠にはめると、破綻に近づくわね。だって、経済も生命そのもののレベルになってきているから。」僕はミーコの『生命そのもののレベルになってきている』という言い方が気に入っていた。何でもそうだが、初期段階ではすべては思い通りに行っているように見える。そのうち深みにはまっていくにつれて、生命としかいいようのない思い通りにいかない地点がやってくる。僕のマーケティングの世界でも生態系市場という言い方がある。その地点では、市場は自己組織化が自然になされていて、ちょっとやそっとの外の力ではもう動かない。動いたとしても一時的だ。しばらくすると、全体の元の力が働いて、生態系のようなバランスをとる。多くのマーケッターはもうそのことに気がついてはいるが、このことについて多くを語ろうとはしない。もし語れば、マーケッターなんて専門職の価値がなくなるのではないかと危惧しているからだ。これはマーケッターに限ったことではないだろう。経済学者や精神科医だって同じ事なのだろう。幼稚な分析なんてもう受け付けない世界になっている。新鮮な目でどれだけ、今動いていることを素直に見れるかにかかっているような気がする。そしてそれはありのままの時間スピード以上に早めることはできない。たとえ動いているスピードが超高速でもあってもだ。僕はいつもこんなことを考えながら思考が前に進まない時がある。
「ところで、増えてきたダンサーのことなんだけど…」ナーコは少しコンタクトがとれたらしい。
「意外とURと関係しているらしいよ」
「やっぱり」ヨージが得意気に応えた。
「よく見たら、URのマーク入ったシャツ着てる人が多いもの」
「シャツだけじゃわからんでしょう」タケシはすかさず否定した。
「クラブ系のショップでも売ってるし、通販でも売ってるよ、訊いたのか?」
「まだちゃんと訊けてないけど、なんか凄くイタについてるというか、URマークの古いものも自然に着こなしているから…」
「とうとう始まったかぁ」ヨージは真剣でないにしてもと少し関わっていることでご機嫌なようだった。
「始まったって何が?」
「この国にはなかった純粋なレジスタンス運動ぉ」
「バカ言え」
「バカかもな。だけど、この国にはいい加減なレジスタンスしかなかったぜ。今の日本の状況を見てみろよ。今が、1960年代、1970年代、1980年代、1990年代の上に成り立ってるんだったら、こんな酷い話はないぜ。抵抗しているように見えて、その波の中をまた泳いでいる姿を想像するなら、そんなのは抵抗でもなんでもない気がする。いろいろ調べれば、1960年代あたりに可能性はあったんだろうが、そんな微妙な話を持ち出しても仕方がない。」
「お前、本気みたいだな」タケシは不思議そうにヨージをみつめた。
「ある意味、本気だ」
「でも、URったって何もできないだろう。まず黒人のものだし、デトロイトで何ができたってわけでもないだろう。音楽産業に流されない、自由なダンスミュージック制作って以外に何か実を結んだか?」
「少なくとも、幸せな気分は俺に伝わった」
「幸せな気分?」
「ああ、タケシはジャガーのプロモビデオ見たか?」
「見てない」
「そうか」
「そうだ」
「笑うんだよ、最後、みんなが」
「それだけか」
「笑って踊るだけだ」
「それだけか?」
「それだけだから、いいんだ、何もしない。笑って踊るだけだ。何の資本も入っていない音楽で、踊るためのダンスミュージックで踊るだけだ」
「それがレジスタンスになるのか?」
「ああ」
「そうか」
「ああ」タケシとヨージは、語気を荒くするわけでもなく、こんな会話を続けていた。どちらとも理解しているわけでもなかったが、プラスに進むエネルギッシュな場所がない限り、どちらかがどちらを説得することができないように思えた。どんなに意見を戦わせてみても、現実にあるのは、人に知られていない暗いパーティ会場があるだけだった。そしてそれに好んで参加する僕たちがいる。その事実に大げさな思想もいらなければ主張もない。あるとしたら心地よい時間の充実度だった。日が昇れば、また難解な世界がデジタルに時を刻んでいく。
 人数が増え続けていたパーティも100人近くになったあたりで、増えもせず減りもせずとなっていた。僕たちの中でも、ヨージやナーコがUR組と積極的に接しているようだった。ミーコとタケシはある意味、マイペースにパーティに参加していた。僕とマキはそんな人をさらに客観的に見ているというような立場だった。マキはどちらかというと、パーティと仕事とを完全に切り離しているわけではなかった。思いつかないフレーズを踊りながらでも探っているようだった。急に顔が晴れる時がある。すると、チルアウトしているように見えて、メモ帳に何か言葉を書いている時があった。彼女は頭を白紙にした方がいいフレーズが浮かぶとも言っていた。
「最近、ナーコとヨージは仲がいいみたいね。」
「ナーコとヨージが仲がいいというか、彼らのいる場所にいることが多いからな」僕の目には確かにそう映った。
「あいかわらず、一緒に踊ってるだけで、特に何か話しているわけではないことはわかるけどね」
「彼らもいずれは、どこかにいくんだろうけどね」
「わかるの?」
「わからない」
「なんだそれぇ」
「でもいろんな人がいるよなぁ」
「なんだそれぇ、あのストレンジャー軍団のこと」
「もっと一般的なこと」
「そんなこと思ってるんだったら、街の知らない人に声かけまくればいいじゃない」
「してみてもいいなと最近思ってる」
「新種のナンパかぁ」
「そういうことではないけど、少しは期待してるかな」
「向こうも実は声かけて欲しかったなんてね。いまさら何言うトオル哉ですよ」
「そりゃそうだ」冗談でしゃべっていたが、まったく冗談でもなかった。大人になってから、人の考えてることなんて大差ないと思い始め、いつからか人に好奇心を抱くことが少なくなったが、最近、いろんな人にいろんな意見を訊いてみたい欲求にかられる。職業病かもしれないが、仕事や食品のアンケートではなく、フツーのことをフツーに訊いてみたい気がする。たとえば、とびっきりの美人が歩いていたとする。自分を美人だと思うか?そのルックスを活かす仕事をしているかしていなければ、何故そうなのか?いつかタケシにそんな話をしたら、やっぱり少し歪んでいると言われた。人それぞれ世界があるわけで、お前が急に短時間で挟まってきても本質的なことには迫れないだろうと言われた。それで相手が迷惑がったとしたら、立派な病気ということになるらしい。しかし、メディアに登場しないフツーの感心する話を僕は聞きたいだけだった。何のためにかは自分でもわからないが、道行く人のフツーの意見をやたら求めていた。
「トオルは街にナーバスだからなぁ」
「マキもナーバスなくせに」
「まぁな」マキは思いっきり男っぽく言い放った。
「コピーライターがナーバスで何が悪い」
「まぁな」僕はマキがどの力を使って、街や時代の無意識の雰囲気を掴んでいるか不思議だった。彼女の言葉に多くの人が共感するとしたら、うすうす感じていて新鮮な言葉で提示された時の喜びだと思う。一種の透視力かと思う。
「でもなぁ、言葉の巫女的な役割もなんだか飽きてきたしなぁ」
「おっ、贅沢病か」
「わかってないからなぁ、トオルはぁ」マキはそれから先、言葉を続けなかった。
「とにかくわかってないからな、俺は」マキはニヤリと笑うだけだった。
 ナーコとヨージがストレンジャー軍団の中で踊るようになって、彼らと会話することが少なくなった。遠目で相変わらず美しい踊りをするナーコを眺めていたが、表情を見ていると特に変わった様子はなかった。ただ、ヨージは、踊り疲れてこんなことを言ってきたことがある。
「なぁ」
「あぁ」
「お前も、URって無意味だと思うか?」
「無意味なんて、言ってないよ。ただ、やっぱり俺もURってデトロイトの街があってそこで育まれてきたわけだし…」
「しかし、今はデトロイト限定じゃないし、グローバルな広がりも出てきている」
「それは、わかっている」
「デトロイトはデトロイトだけじゃないんだ、わかるか」
「なんとなくはな」
「実は悲惨なのはデトロイトではなく、デトロイトのような街かもな」
「そう言われると、余計にわかるような気がする」
「俺は何をするわけじゃない。何の行動も起こさないし、何かメッセージを発するわけでもない。ただ、デトロイトのような街でURに共感している。そんな自分がいる。ただそんなことを確認しながら踊ってる。わかるよな」
「わかるけど、ヨージはデトロイトには行かないのか」
「夢の本拠地に行ってどうする」
「夢の本拠地かぁ」
「夢の本拠地さ、あそこには本物の活動があるしな」
「しかし、どうして一つの都市の音楽が、こうやって、世界や日本に根付いているのかは不思議だな」
「資本主義の袋小路は、資本主義の袋小路にしかありえないというか…次の段階とか、そういうことじゃないだ、たぶん。資本主義の袋小路は、袋小路でしかありえないっていうか、俺、同じこと言ってるな」ヨージは笑った。
「俺たちが、想像しているアメリカとかと全然違うな、URはぁ。アメリカの中でアメリカを憎んでるし、アメリカの中で評価されていないというもどかしさもある。」
「ニューヨーク、シカゴのあのアメリカっぽさがないというか、そういう意味では、グローバルに広がっている都市、デトロイトって変な言い方もできる」
「あのストレンジャー軍団とは、話ができたか?」
「あいつらも、別に語って何しようというわけでもないみたいだし」
「そうか」
「そうだ」
「ナーコもか」
「ナーコが気になるか、ナーコも言ってたよ。あいつらとは語る必要がないって。感じるだけでいいって。あいつらはそういう奴らなんだ。」
「パリ・テキサスみたいなもんか、ジャパン・デトロイト、なんか気持ちはわかるんだけどなぁ」
「それだけで充分だ」ヨージはきっぱりと言った。
「俺はそれでいいけど、お前はそれで充分なのか?」
「充分じゃないけど、俺がURになって、発信者になっても変だろ」
「それはそれでいいような気もするが…」
「よくいうよなぁ、俺はいい加減、ぶらぶらしながら袋小路で悩んでるふりしている方が似合っているような気がする」
「それはまた気楽なレジスタンスだな」
「まぁな」


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小説 

ジャガー2001-3

 この公園は、僕たちを時々不思議な気持ちにしたりする。街の中と違って、あまりにもバカデカイ人工物がうっすら見えるだけに、ニュース報道的な情報がもの凄く薄っぺらに感じる時がよくある。大きな橋、大きなクレーン、大きな倉庫群、大きな港、大きな船、そんなものを眺めていると、この国の経済がちょっとやそっとで崩れるようには思えない。中途半端なビル街の会社のデスクでパソコンをいじってる時などは、マイナスの経済情報もリアリティがあるのだけども、僕たちは、そんなことを感じる以前に見落としている風景がたくさんあることに気づくべきだ。この経済がなかなか崩れないのは、そんな大きな風景に支えられているからではないかと思ってしまう時がある。破綻するのは、ネットワーク上の経済である。取り残された大きな景色は崩れようにも崩れない強靱な構造をしている。そういう問題じゃないと言われるかもしれないが、何か確信めいたものを僕は持っている。いつか崩壊するかもしれない。そんな思いに怯えて過ごしていくなら、こんなことを現実として思ってみるのもいいと自分では思っていた。
 ヨージはナーコのことをわかっているように語っていたが、ストレンジャー軍団の数が一気に減ったかと思うと、ナーコもパーティに姿を見せなくなっていた。ヨージはあいかわらず顔を見せていた。が、ストレンジャー軍団の数が一気に減ったことと、ナーコがパーティに来なくなったことについて何も知らなかった。ヨージはコンタクトをとっているようで実は、薄っぺらな関係だったのかもしれない。ナーコはヨージの知らない何かを知ったのかもしれない。マキやミーコは、どこかのレイブに出かけたんじゃないのみたいな言い方をしていたので、ある意味、心配はしていなかったが、しばらくすると、タケシが話しかけてきた。
「ナーコなぁ」
「わかったか、何か?」
「俺んとこの大学病院に来てな、カウンセリングしてる、俺が…」
「どうしたぁ」
「見えるんだと」
「何が」
「もう一人の自分が、目の前に」
「幻覚かぁ」
「幻覚と呼ぶには、リアリティがありすぎるようにも思う」
「ナーコは何もやってなかったよなぁ、キノコなんかもまるっきり…」
「だから、余計にやっかいだな、延々、もう一人の自分が語りかけてくるので、へとへとになるって」
「どうしてるの、お前は」
「薬で抑えることはできるが、もっと根本的なことを解決しないと、幻覚は消えないだろうな」
「根本的なこと?ストレンジャー軍団とは関係ないのか?」
「よくわからないが、今のところ、そんなことは聞き出せてない」
「そうか」
「時間はかかるかもな、通院ですむレベルだから、そのうちなんとかなるさ」
「そうか」
 ついにというか、パーティの親密ともいえる人の中で、欠落者が出た。僕はタケシにナーコのマンションを聞き出して、というか、許可を得て、仕事帰りに会いに行ってみた。タケシには『お前、ナーコのこと気に入ってたもんな』とも言われたが、それよりも何があったのか、聞いてみたかった。ナーコのマンションは高速道路に面したところにあった。騒音が継続的にあったが、ナーコの部屋に入った途端、騒音はピシャリとなくなっていた。
「お見舞い?」ナーコはいつものように笑った。
「ビックリしたでしょ」表情もいたってフツーだった。
「タケシに聞いてビックリしたよ。こんなこと訊いていいのかもわからないけど、幻覚が見えるんだって」
「精神科医的には幻覚だけど、私にとっては現実だし、しつこい話し相手ね」
「何て、言ってくるの?」
「パーティに誘ってくるんだけど」
「どこの?」
「マリナルコ」
「マリナルコぉそれ、どこだ」
「メキシコらしい」
「メキシコぉ、そんなところのパーティで何をしようっていうんだろう」
「いくら、言っても無駄なのよ、ここは日本だって言っても。私はいっぱいパーティに参加してきたし、パーティそのものに後悔はないって言ってもね」
「この国は何段階にも折れ曲がってるし、ここにいたら、つぶされるって」
「ある意味、当たってるかもな、そんなこと言ってる場合じゃないけど…」
「でしょ、それが自分とのそっくりさんに言われるんだから…自分は双子だったかもしれないなんて気になるもの」ナーコとしゃべっていてもナーコが異常者という気にはならない。ただもう一人のナーコがナーコに語りかけてくるという事実以外には。
「あの、南港のパーティのストレンジャー軍団とは何か話せたの?」
「ここはいいパーティだって言ってたよ」
「あいつらに誉められてもなぁ。他には何も言ってなかった?」
「場所を変えるとは言ってたけど、特に何かをしているわけでもないね彼らも。アンダーグラウンドな場所をずっと求めているというか、彼らと私の幻覚と何か関係があるといえば言えるし、ないといえばないかもね」
「微妙な言い方をするね」
「ビミョーはビミョーよ」
「彼らの語ってたことと、もう一人の私とよく似ている部分もあるから」
「どんなふうに」
「間違っていた、というのが彼らの口癖だったわね。何が間違っていたのか詳しくは訊かなかったけど、どうやら歴史のことみたいね。」
「歴史を否定しているのか、奴ら」
「結構、最近のことみたいだけどね、よくわからないけど」
「似ている部分があるって、否定しているのか、もう一人のナーコも」
「否定してるわね、私の生きてきたすべてをね」
「すべてをって、すべてを?」
「そう、だからって、マリナルコのパーティに行って何かあるとも思えないしね。でもダメなのよ。ずっと誘ってくるのよ」
「今も」
「今は待機中ね、その壁のところで待ってるわ」ナーコは僕の後ろの壁を指さした。一瞬、僕はゾッとしたが、目の前のナーコがあまりにフツーなのでまだ冷静でいられた。
 ナーコに会いに行った後、タケシに電話で報告してみた。
「ナーコなぁ、見た目は本当にフツーだな」
「あぁ、フツーだろ、もう一人の自分が見えるって言わなければ、すべて正常だ」
「お前、どうするんだ?」
「自分の否定形が見えるっていうのも、そんなに複雑なことじゃないし、急にそんな感情が芽生えるのもありえることだ。それにリアリティがありすぎるからヤッカイだけどな。だからといって、マリナルコに連れて行けば、すべて解決するもんでもないと思う」
「メキシコに行って、そこがまた理想形じゃなかった場合だよな」
「そうだ、また、否定する別の人格が現れるかもしれないし」
「でも、あのマリナルコに誘うナーコは、メキシコに行くまで消えないんだろうか」
「薬を飲んでも、消えないし、夢を見ていても出てくるそうだ」
「ヤッカイだな」
「ヤッカイだ」
「対処なしか?」
「彼女の幻想だが、彼女と切り離された幻想でもあるし、そこがヤッカイだな」
「俺たちとは、コンタクトがとれないっていうわけか」
「彼女に思い切り自己肯定する力があればの話だが、そんなことナーコにできると思うかあんなに神秘的にダンスのできるナーコだからな。自己肯定とか否定の次元でないところに行く力をはじめから持ってるわけだし」
「分裂する素質ははじめから持ってたって言いたいのか?」
「そういう言い方もできるが、しばらく様子はみてみないとわからない」症例とか遠い話ではなく、あまりに身近な出来事だったので、わかろうとする入り口はいっぱいあった。本人が真剣に苦しんでいる場合はもっと僕たちももっと苦しんだろうが、本人が余裕の対応を見せていたので、まだ落ち着けた。
 ナーコがパーティに来なくなってからも僕はパーティのある日は参加していた。ミーコはゴア系の4つ打ちのサウンドが響くと元気に踊っていた。マキも一緒にはしゃいでいた。二人の身体のしなりを見ていると、何事もなかったようにも思えてくる。元気がなくなっていたのは、僕たち男どもだった。タケシも顔を見せる日もあったがたまにしか参加しないようになっていた。ヨージもストレンジャー軍団がいなくなって、多少、元気がなさそうだった。のことも、そんなに口に出さなくなった。しかし、いつからかURのパーカーを身につけてはいたけども。
「ナーコ、まだよくならないんだって?」ヨージが訊いてきた。
「タケシにまかせるしか、ないかもな」
「そんなにひどくないんだろう」
「あぁ」会話が続かなくなると僕もすぐにダンスの熱帯の中に入っていった。自己肯定なんてできるんだろうか、ダンスをしながらもそんな考えが浮かんでくる。自分を実感できるが、完全な肯定なんてできるわけがない。僕は幻想が見えないだけのおかしな精神の持ち主なんだとも思えてくる。ダンスをしていても、悩めばとことん悩む方向へと気持ちが偏ってくる。無意識の蓋が開けば、かなりヤバイ感傷がやってくる場合もある。ナーコの場合は、この蓋を開けすぎたのだろう。そんなことはタケシだってわかっているはずだ。ただ彼は精神科医としての対処に戸惑っているだけだと思う。何故こんなことにエネルギーを費やさなければならない時代になったのだろう。ダンスで発散しているつもりでも、それが自己治癒の意味合いも兼ねてくる。その回路が少しだけ狂ってナーコみたいになる人間もいる。コントロールされている時代のダンスは、かなりコントロールされているサウンドでないと酔いしれないのか。というか、酔いしれていると思っている自分がいる。ややこしい時代なのだ。そして、そこから先、どこかに広がるというわけではない。朝はやってくるが、サウンドはループ音がフェイドアウトして消えていくだけである。チルアウトサウンドに変わっても、爽やかな今日を約束しているわけでもない。自分でもこんな生活をいつまで続けていくのか不思議だった。なかなか終わらない世界の中で、終わらないサウンドの波の中にい続けること、そのことに大きな価値はないと思うが、その中にいないと落ち着かない自分がいた。レイバー仲間がだんだんと自殺していく話は以前はよく聞いた。彼らは踊っていくうちに、もうどうでもよい気分になっていくことは予想できた。特に自然の中だと、その自然に帰っていくべきだという気分になることがある。普段の日常の中にダンスミュージックが浸透しているわけでもなく、彼らは、自然のリズムの中に身を置くことを選んだのだと思う。時計の針の小さなリズムよりは、惑星の自転や公転のリズムを選んだのだろう。それは微かにでもわかるような気はした。
 冬に近づき、この公園のパーティにも焚き火スペースが設けられた日、久しぶりにナーコは姿を見せた。部屋にいる時間が多かったのか多少、ふっくらしたように見えたし、唇が少し荒れているようにも見えた。それを見ると幻覚はまだ完治していないように思えた。タケシからもそんな報告がなかったし、この日、タケシは姿を見せていなかった。
「久しぶり、ナーコぉ」
「おぅ」と視線を合わさずにナーコは僕の呼びかけに応えた。
「今日はね、決断の日なのよ」しばらく会ってなかったので、その決断がどんなものか皆目、見当もつかなかったが何かいいものであるような気がした。
「決断って?」
「付いてきた、こいつをここで殺すの」一瞬ギョッとしたが、実際の人でないことに気がついて、落ち着こうとしたが、幻覚であったとしても、もう一人の自分を殺すという表現にもう一度ギョッとした。
「この景色を見せながらね、こいつを公園の端のコンクリートの防波堤から突き落としてやるわ」言ってることは恐かったが、顔は狂気を帯びてるわけでもなかった。
「そんなことして、もう一人のナーコは消えるのか?」
「消すのよ、マリナルコでもどこでも行きなさいって、行けるもんならね」ナーコはうつむきかげんに小さく笑った。タケシがこの場にいたら、どうするんだろう。そんなことを考えているうちに、ナーコはだんだんと左手の焚き火のある場所からどんどんと歩を進め、かなり高い防波堤の上によじ登っていた。まわりはかなり暗かったが、白いダウンジャケットを着ているナーコの姿ははっきり見えた。あまりに突飛な行動だったので、走って制止するものもいず、ナーコは少し面積のある防波堤の上を平均台を歩くように綺麗に歩いていた。
「おい、トオル、あれ大丈夫かぁ」ヨージが心配そうに僕をつついた。
「あぁ」僕はこれから起こることに自信はなかったが、本人には危害はないとは思っていた。パーティ会場には、重低音のトライバルサウンドが流れていた。ナーコの向こうには、遠くの大きな倉庫街がうっすらと見えていた。
「行きなさいよぉ」ナーコの叫び声が聞こえた。
「寒い海は、どこにでも通じてるわぁ」ナーコはナーコを突き落としている。そんなふうにも見えた。
「狂気だな」ヨージは言った。
「あぁ」僕はうなづいた。
 しばらく防波堤の上で格闘しているように見えたが、その姿がなんだか美しい演技のようにも見えて、その光景を見ているものは、みんな静かに見守っていた。その防波堤に登るのは、朝日をじっくり眺める時だった。パーティの終わり間際に何人かの男がそこに座っている時がある。暗い時間にそこに人がいることなどなかった。ナーコは格闘が終わると、そこに腰をかけて、冷たく暗い海をぼぉと眺めていた。僕とヨージは防波堤の方まで行き、ナーコの下から声をかけてみた。
「どうなった?」
「泳いでいったわ」
「どこに」
「知らないわよ。どこまでもリアリティのある奴なのよ、私の分身ん。でももう私の前には現れない気がするわ」
「そうか、良かったな」
「良かったかも」僕とヨージはナーコを休憩用のテントまで連れて行き、座らせた。一人の格闘だったが、ナーコの手の甲は擦り傷だらけだった。白いダウンジャケットにも多少、血がついていた。
「ナーコぉ、もしかしたら…」ヨージはゆっくりと続けた。
「お前、ストレンジャー軍団の誰かとつきあってたんじゃないか?」ナーコは表情も変えずにしばらく黙っていたが、
「失恋して、精神がやられたってわけ」
「違うか?」
「違うわよ、まったくぅ」
「そうか」
「単純な推理は立てないでね」  


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30数年広告畑で畑を耕しています(笑)コピーライターでありながら、複雑系マーケティングの視野からWebプランニング、戦略シナリオを創発。2008年2月より某Web会社の代表取締役社長に就任。snafkin7としてのTwitterはこちらからどうぞ。Facebookはこちらから。
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