2010年06月

2010年06月18日

記号の森のAKB48

2010.6.4、民主党代表選挙で菅直人が勝利した日、ツイッターの裏側は大荒れに荒れていた。この選挙結果のこともあってテレビ東京の「NEWS FINE」は延長され、その影響で「週刊AKB」が放送されなくなったからだ。ハッシュタグ #AKB #AKB48のラインは、この番組変動にうらみつらみを浴びせて暴走していた。

このハッシュタグのツイートを見ていた時、AKB48というのはなんとネットにフィットする名前なんだろうと感心していた。ハッシュタグで何の省略もせずに、#AKB、#AKB48が成立してしまうのだ。また、AKB48の公式サイトドメインが、AKB48.co.jpなのにも感心した。えっ、.comじゃなく.co.jpなの、すごい真面目な組織なんだなと…思い浮かべたのは山田養蜂場のドメイン 3838.comとかやずやの昔の数字ドメイン。まっ、そんなに重要なことではないが、そんなこともあって、AKB48は記号論的な視点でも語っておくべきかなと…

セブンイレブンに無料で置いてある「7ぴあ」6.7-7.31版がAKB48特集を組んでいた。そこでの大島優子の語り「アイドルっていう枠を越えて、AKB48っていうカテゴリーができればいいなと思っています」また、日経エンタテインメント2010.7で篠田麻里子が「たまにAKBの仕事が入ると何か落ち着くというか…」など、メンバー自身がAKBという枠、存在を客観視しているのに驚いた。本人たちも自分とAKBをセパレートしているところがあり、AKBというのは何かを象徴している記号のようにも聞こえてくる。

それは限りなく“イマ”の存在で、今までの言葉で言い表せない何かを意味している?

AKB48を仕立てた秋元康氏がDIME 13でAKBについての本音どころを述べていることは前回も書いたが、面白いのは、秋元康がプロデュース権を意識的にファンに譲ったところから、AKB48の人気が急上昇している点だ。企画屋、秋元康は次から次とアイデアを出すが、何かやるたびに2chやブログで大ブーイングがおこる。初期は選抜メンバーを秋元康自身が選んでいたが、ブーイングの数がだんだん増えてくる。困った秋元康はそれならばとファンが選ぶ総選挙を思いつき、現在の総選挙形式ができたというのだ。もっと面白い話がある。現在12位以内のメディア選抜に必ずいる篠田麻里子は、秋元康によってオーディションで落とされている。オーディション時に秋元康作詞の歌(悪女)を歌い、媚びてると評された。篠田麻里子は仕方なくAKB劇場に併設された売店で働くうち、ファンたちが彼女がAKBメンバーでないのはおかしいと、プッシュされAKBメンバーになるというような…ファンにプロデュース権を移した秋元康もえらいなと思うが、要は、AKB48というのは今の若い層の総和から生まれた輝く記号なのだ。

そしてこの記号は、いろんなことを意味しながら、意味されていく…

AKB48が今の若い層の総和の新しい記号とするなら、そこでずっとセンターをとり、今回の総選挙では2位になった前田敦子(あっちゃん)は何を意味し、何を意味されていくのか?

前田敦子の3冊連続写真集を手に入れてみた(笑)

よく聞く声が「前田敦子って、そんなに可愛いと思わないけど、なんであんなに人気があるんだ?」正直、私もそれが不思議で仕方なかった。

ハワイver 東京ver ニューヨークverそれぞれをつらつら見ていると、あることに気がついた。前田敦子は、東京にいるより、ハワイやニューヨークにいる時の方が地場の人のように見えるのだ。現地にいる日系人のような不思議な存在感がある。ダウンタウンの黒人と一緒にいる時の写真は、まったく違和感がないほど、現地の日系人に見える。また東京にいる時は逆に日本に留学にきている東南アジアの娘のように見えてしまうのだ。そういうエキゾチックな魅力が前田敦子にはあるのだと思う。純和風でもなく洋風でもなくアジアングローバルな魅力がある。存在そのものがなんだか懐かしい感じ…そしてそんな感じのするアイドルは今まであまりいなかったように思う。

この不思議な存在感をファンが1位、2位で支持している意味は何なのか?

日本人が忘れてきたアジアの純粋性、純心性、のようなもの。東京で撮影されている時、そういう意味と空虚が明確に浮き彫りにされてくる。前田敦子の表情の中には、日本的なもの、タイ的なもの、フィリピン的なもの、ベトナム的なもの、インドネシア的なもの、いろんなアジアが薄くにじんでいるように見えるのだ。

一言で言うと、懐かしい顔。

NHK大河ドラマ「龍馬伝」に出ている前田敦子がおしんのように見えてしまうのだが、それもなんだか懐かしい顔の一つだ。

前田敦子を筆頭にAKBは、“イマ”を強く意味しているとともに、“イマ”でもない未知なるものも表徴していて、アイドルグループとしては、作り物ではない、物語を内包していて、ロランバルトなどが昔語った、(零度の)エクリチュールの域まできているのかもしれない。

それは、どうしておこったのか?

それはやはり、誰かが恣意的に作った意味性を越えて、大きな心情の総和で形成されているからだ。もし、秋元康氏がプロデュース権をファンにゆだねなかったら、こういう幅広い意味性を持ちつつ空虚も備えているといった平たい集団にはならなかっただろうと思う。

AKB48では、神話化を上昇させない装置がちりばめられている。握手会、総選挙、SKEの存在…不変のエースと言われた前田敦子でさえ、2位というところにまで引き戻されてしまう。

AKB48という記号は、これからもいろんなことを意味しつつ、無意味とも握手して、現在社会の象徴になっていくのだろうと思う。

そして、インターネットの良点を最大限にいかしてできた初めてのアイドルなのだと思う。

今回の総選挙で1位になった大島優子の言うように「アイドルっていう枠を越えて、AKB48っていうカテゴリーができればいいなと思っています」

もはや、このカテゴリーはできかけているように思う。

かつてのアイドルが“カテゴリー”などという言葉を使っただろうか。現エースもただものではない気がしてきた。

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2010年06月16日

誰も書かなかったマーケティングの話

ある程度の年数、マーケティングに直接かかわっている現場の人間は、一度は次のような思いになるのではないかと思う。

かなりの予算とかなりの時間をかけて、マーケティングを実施しても成果が出ない時がある。プロとしては5割以上の打率で成果を出さないといけないと思うが、打率はせいぜい2〜3割といったところ。もしある事業が成功するか失敗するかの確率は大ざっぱにいって50%であるならば、5割以上の打率を出せないマーケティングは必要ないのではないか。

実際、ヨーロッパ、特にドイツではそんな考えが正統にあったりする。

マーケティングは自信のない、弱気な人達のやることだ。社内でそのプロジェクトを推し進めていくための理由づけが欲しい、あるいは上司を説得するためにマーケティングを実施しているのであって、その製品が本当に売れるか、ヒットするかの確信は持っていないはずだ。売れる仮説づくりが仕事だと思っていること自体、滑稽だ。それよりも自分が充分に納得できる価値あるプロダクトづくりに専念する方がはるかに意味のあるビジネス活動をやっているといえる、というような…

ヨーロッパでは、アメリカ式の実証科学を嫌う歴史もあり、数値だけが走るマーケティングを嫌う傾向があるのかもしれない。主観やコンセプトを大切にするブランドマーケティングは自然にやっているのではないかと思う。

マーケティングの話をする時、話が噛み合わないことが多々ある。ある人は、上のようなリサーチを主体に語っているマーケティングを思い、ある人は、売れるストーリーや仕組みのことを主体に語っている場合があるからだ。

コトラーやドラッカーも大切だが、ここではあえて触れず、日本のマーケティングが一度死んだ話を書く。

ハーバード大のマーケティング論も優秀だが、日本でもパルコ出版が運営していた「月刊アクロス」は日本の流行や世代分析、世相洞察はずば抜けて優秀だった。1977〜1998年の間、かなりのきめ細かさと大胆さで時代を読み解き、多くのマーケッターに影響を与えていたが、1998年、最終号で「もう時代を、あるキーワード、ある枠組みで語れなくなってきたので廃刊します」とメッセージ。

私などは、企画書づくりに結構、アクロスから影響されていたので、途方にくれた。いや、もう、時代はバラバラになったのか、明日から、何を指標にもっていいのか不安になった。

今思うと、1998年のこのあたりが、インターネットやデジタル携帯の急拡大期。流行事象の広がり方もアナログからデジタルに移植されはじめていたのではないかと思う。アクロスが描けないと言っていたのはアナログ絵図の流行事象だったのかと思う。

マーケティングは「リサーチ」「仕組みづくり」の大きな要素があると思うが、インターネットが細密化、巨大化するとともに「リサーチ」は「インターネットリサーチ」に変わり、コスト面での罪悪感がなくなってきたため、ヒット打率が悪くても再び積極利用されはじめた。一方の「仕組みづくり」もネット絡みが定着し、こちらもあまり罪悪感なしに「ハイブリッドな仕組みづくり」が積極考案されるようになった。

ここで何が起きたかというと、Webそのものがマーケティングになったということだ。

DIME 2010.07.06号で秋元康氏が面白いことを言っている。

「マーケティングではヒットは生まれない、思い込みで創ることが大切…」

「これからのヒットするコンテンツは、いわばウィンドウズ型ではなく、オープンソースのリナックス型に移行するはず…」

「AKB48のブレイクはネットなくしてありえなかった、ネットの双方向性が…」

「私がプロデュース、から、ファンがプロデュースする仕組みを作ったことが成功の鍵だった」

秋元康氏はマーケティングではヒットは生まれないとしながらも、「インターネットリサーチ」「ハイブリッドな仕組みづくり」と現在のマーケティングを大いに活用している。

私自身、リサーチ、仕組みづくりに関わっていない時でも、Webを見ているだけでも、これはマーケティング行為ではないかと思ってしまう。

そして実際、そうなのだと思う。

Webそのものがマーケティング。

思い込みコンセプトとWebマーケティングの時代

マーケティングでもう打率うんぬん言っている時代ではないのだろう。罪悪感を語っている時代でもさらさらない。

しかし、経験値でマーケティングの諸問題をポジティブに活用している秋元康氏はお手本になるなと…



2010年06月13日

ブログ振り分けのお知らせ

そろそろ「0円でできるマーケティング」を再開していこうと思います。今の時代は、なんたらツールというよりも、ネットに接していること自体がマーケティングなので、特になんたらツールをとりあげる機会は少ないかもしれませんが、日常情報とともにアップしていこうかと思います。

CNET時代の「今どきのメッセージ論」はここにアーカイブとして置いておきますが、更新はこのブログではせず、「ブロガーズネットワーク翼」さんで「新・今どきのメッセージ論」を展開していきますので、興味のある方はそちらでご欄くださいませ。

また、もともとアイドル論が好きな私は、今、大量にAKB48の資料を集めています(笑)昨年あたりからティピングポイントを超え、少女アイドルグループの象徴となっているAKB48ですが、ここには現在のマーケティングの問題が凝縮されていますので、自分なりに整理したいと思っています。最低のマーケティングを展開するavexがAKB48を意識した最低のグループを登場させたり、いろんな便乗グループが登場してきていますが、これらも整理することによって、オールドマーケティングのパターンが見えてくると思います。これの発表先は、今、未定ですが、そのうちネットにもあげようと思っています。

それでは、これからもよろしくお願いします。

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snafkin7
30数年広告畑で畑を耕しています(笑)コピーライターでありながら、複雑系マーケティングの視野からWebプランニング、戦略シナリオを創発。2008年2月より某Web会社の代表取締役社長に就任。snafkin7としてのTwitterはこちらからどうぞ。Facebookはこちらから。
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