2008年12月
2008年12月25日
飯島愛さんの記憶
飯島愛さんは、TVの他に大阪・阪急三番街のマッキントッシュのビデオアートのイベントで生で見たことがある。かなり前だったが、なんでこんなイベントに飯島愛が???というのでかなり記憶に残っている。彼女はクラブによく出入りしていて、そこでMACで作成されたビデオーアートに興味を持って、ということを語っていたように思う。
ちょっと持っていた印象がだいぶ違った。
たまたま芸能界の入り口に入ったから、その道を歩いたが、アート系の道に入ったら、そういう道も歩んでしまう人なんだなという印象だった。
死亡のニュースを見て、途中で終わっているブログを覗いてみた。
禁煙のことやHIVのことなどが語られているが、ニュースを聞いた後なので、なんだか寂しい空気感が漂っているブログだった。
しかし、精神的に少しすぐれないことや、抗うつ剤のことを書いていても、ごくごく自然に流している。
もし、それが原因ならば、かなり現在的な死に方なのかと感じた。
彼女の場合、AVの世界との出入り、整形の世界との出入り、芸能界との出入り、アートの世界との出入り、にほとんど垣根なく、すーと飛び越えていく自由さがあり、生死の世界の出入りも自然にやってしまったのではないかと想像する。身体的に辛かったというのもあるでしょうが…
演じきれなかった、なりたいものの理想と違ったということもあるでしょうが、引退してからの彼女は、時代的なモヤモヤ感でフツーに悩んでいただけであって、精神的にやや弱まっていたといっても、そんなに特殊な場所にはまり込んでいたわけじゃないと思う。
ただ芸能界やアートの世界から日常の世界にうまく着地できなかった人でないかと思う。
飯島愛は引退したが、自分の中の飯島愛はうまく引退できなかったのかなぁとも思う。
少し賢すぎた、少し才能がありすぎた、のかなぁとも思う。
真実はわからないので、こういう感想で終えておきます。
ちょっと持っていた印象がだいぶ違った。
たまたま芸能界の入り口に入ったから、その道を歩いたが、アート系の道に入ったら、そういう道も歩んでしまう人なんだなという印象だった。
死亡のニュースを見て、途中で終わっているブログを覗いてみた。
禁煙のことやHIVのことなどが語られているが、ニュースを聞いた後なので、なんだか寂しい空気感が漂っているブログだった。
しかし、精神的に少しすぐれないことや、抗うつ剤のことを書いていても、ごくごく自然に流している。
もし、それが原因ならば、かなり現在的な死に方なのかと感じた。
彼女の場合、AVの世界との出入り、整形の世界との出入り、芸能界との出入り、アートの世界との出入り、にほとんど垣根なく、すーと飛び越えていく自由さがあり、生死の世界の出入りも自然にやってしまったのではないかと想像する。身体的に辛かったというのもあるでしょうが…
演じきれなかった、なりたいものの理想と違ったということもあるでしょうが、引退してからの彼女は、時代的なモヤモヤ感でフツーに悩んでいただけであって、精神的にやや弱まっていたといっても、そんなに特殊な場所にはまり込んでいたわけじゃないと思う。
ただ芸能界やアートの世界から日常の世界にうまく着地できなかった人でないかと思う。
飯島愛は引退したが、自分の中の飯島愛はうまく引退できなかったのかなぁとも思う。
少し賢すぎた、少し才能がありすぎた、のかなぁとも思う。
真実はわからないので、こういう感想で終えておきます。
2008年12月24日
マーケティングの前に大事なこと…

一時期、時代にそぐわなくなってきたと勝手に判断していた「吉本隆明」が今、糸井重里氏などのブロジェクトによって、再び丁寧に語り出し、現在をリアルに抉りだしている。
2008年2月時点で、世界大恐慌の可能性を語り出し、現在を第二の敗戦期と語り出したあたりは、今いちばん世界情況を把握している人物の一人だろう。
確かに昔も凄かった。
私の場合は、17歳の時に「言語にとって美とは何か」「戦後詩史論」と出会ってから、大学時代は東京でやる講演会にほとんど顔を出し、なんと30歳くらいまで過去のものから新刊、「試行」まで愛読していたから、ちょっとマニア領域に入るのだが、彼が伊豆でおぼれかけてから、パタンと自分の中で吉本隆明離れが始まった。時たま本やインタビューには目を通していたが、いやあ、やっぱり視点がズレはじめているという印象が強くなった。それは、いつまでも彼に影響されていてはいけないという思いも強かったし、自分なりに物事を判断できるようになっていたからだろう。
ほぼ日あたりに、吉本隆明をひっぱり出している光景も本当はあまり好ましくは思っていなかった。好きだよねぇ、あの世代っていうか、ダシをとった後にダシをとっているような気がして…
しかし、そんなことを繰り返しながら、確かに老いてはいるが、糸井重里がリハビリの理学療法士のような役割となって、淡々と昔からの流れで、現在をきちんと語り出しているあたりは、あらためて凄さを感じるが、糸井重里も吉本隆明を本当に愛しているのだと思う。
彼の言う、第二の敗戦期、第二の産業革命期と精神病・神経障害の関係性や、アメリカや中国にできない、この時期の乗り越え方は具体的に見えないが、この時期をブレークスルー可能性があるのは日本だけだと示唆しているのは、なんとなく、今の時代、勇気づけられるような気がする。
また、第二の産業革命は、第二次産業の構造を大きく変革しつつある。サプライチェーン、グローバルバリューチェーンなどいろんな進化形があったにしても、この時期になってトドメを刺された感がある。
そしてニュースなどでは、変な庶民意識から、消費税率アップに反対のような姿勢をとっているが、フツーに考えれば、所得税などなくして、消費税を大幅にアップする方が今の日本の産業構造・人口構成からいって理想なのは誰もが解ることだと思う。
第二次産業の雇用問題と消費税の問題が同時に出てきているのは、何も偶然でもなんでもない。二つは密接に絡み合っており、どちらも善悪問題として止めることはできない。
政治・経済の問題ももちろんだが、マーケティングがいかに手法だけでは成立しないかがわかる。景気後退期と捉えたマーケティングも既に存在するが、やはり、おかしい。
景気後退のおかげで、パティシエのスイーツからもっと素朴なスイーツが流行るでしょう、なんていうのは既にTVでやっていた。本当に情けないと思う。
第二の産業革命期ということは、景気後退期といわれる中でも着実に堅実に利潤をあげていっている分野があるということで、そちらに目を向けない限り、あらゆるマーケティングは不可能であると思う。
スイーツを例にとると、単なる価格の問題と捉えるのか、産業構造変革からくる精神的なものととらえるか、ロールケーキを形体の問題と捉えるのか、合理性の問題と捉えるのか、で考え方はガラッと変わってしまう。
今の風潮でいえば、高単価商品はすべてブーということになる。しかし、それでは東京ディズニーの今年の好調ぶりは説明できないだろう。サービスの質を極度に上げている場所。第二の産業革命の場所とは別にインターネット関連ということではない。第三次産業を超えて、第四次の可能性と夢を提供している場所にあらゆる可能性があるのだと思う。
ブランド品が売れなくなった。のではない。ブランド品であろうが、ノンブランド品であろうが、ネクストの夢を示せているものは、これからもどんどん売れ続けるのだと思う。
ネクストの夢。それを具体的に示し、買う価値を示すこと。それがこれからのマーケティングなのだと思うが、当分は、不景気の残像ニュースが主流をしめ、平均的な庶民などいなくなったにもかかわらず、庶民の味方を装う情報が主流をしめていくのかなと思う。
その流れを細かく見ていくためにも、老いてしまった吉本隆明の発言も期待したいものです。
彼の絶頂期の講演で「僕がダメになったら、ちゃんと両手を挙げる、まだまだ大丈夫だ」というセリフがありますが、まだ両手を挙げていないところを見ると、まだ信頼できる部分が多いような気もする。
マーケティングベースに吉本隆明を必要とする、というのもおかしな話かもしれませんが、この難解な時代、ないことはないと思います。
2008年12月10日
ノンタン作者の死去に思う

これだけ深刻な環境問題を抱える中、車が売れなくなるって本当はいいことじゃない。石油は消費しないし、CO2排出も防げる。TOYOTAさんなんて、以前は、うちは全社員が毎日運動会したとして2年くらいもつと豪語してたんだから、そんなにあせることもないじゃんかと。
「TOYOTAは本当に環境にいい車を開発するまで、しばらく車はつくりません」くらいの広告をうって欲しいんだけどなぁ(笑)こういう時だからこそ、本当のCSR取り組み姿勢をみせて欲しいですね。
まぁ、それはさておき、人気絵本「ノンタン」シリーズのキヨノサチコさんが脳腫瘍のため60歳で亡くなったというニュースを見て、ちょっとショックをうけた。「ノンタン」シリーズの絵本は、可愛いのはもちろんのこと、子供に読んであげた人はよくわかると思いますが、文章が非常にリズミカルで、言葉の方の才能も凄く高い人だなぁという印象を受けていました。「ノンタン」シリーズの中でも、「ノンタンおやすみなさい」がいちばん好きですが、何回読んでも飽きなかった記憶があり、どこかで中原中也的な息づかいがあり、子供そっちのけで、雰囲気出すように、いろんな調子で読んでいました(笑)
時代に左右されないコンテンツの一つですね。これは。ノンタンデビューは1976年。今でも全然古くなく、これからも永遠の絵本として残っていくのではと思います。
作者のキヨノサチコさんは結婚後、アメリカで暮らして、身体の調子が悪くなってから日本に戻られていたらしいんですが、60歳とは若すぎますね。
「私がいなくなっても、ノンタンは元気に生き続けるから」と死の公表をひかえてねという希望だったらしいが、半年後にこうして報道されることになった。
うちには、トイザらスで買ったノンタンのぬいぐるみもあります。ノンタンはいつも笑っていて和みます。
流行廃りと違う位相で何かすることの大切さは彼女の作品からとても感じます。
亡くなって半年後ですが、心からご冥福をお祈りします。